令和5年2月10日、大学院棟3階大講義室において、山本正嘉教授(スポーツ生命科学系)の最終講義「苦手だった体育を職として歩んだ45年~東大、武大、そして鹿屋体育大学へ~」が対面講義とオンライン配信のハイブリッド形式で行われ、約150名が参加しました。会場には遠方から駆け付けた、山本ゼミのOB・OGの姿もありました。

秩父宮記念山岳賞、日本登山医学会奨励賞、日本山岳グランプリなど数多くの栄えある賞を受賞してきた山本教授ですが、小学生の頃の夢は植物学者でした。山の植物が見たくて中学3年生だった1972年の5月3日に初めて1人で登った埼玉県・秩父の武甲山が山との最初の出合いで、「人生が変わった日を1日だけ挙げろと言われたら、この日になる」と振り返りました。山岳部で鍛錬するのは大学に入ってからと決め、高校では基礎体力をつけるために水泳部に入ったこと、東京大学に現役で入学し、20歳の時に東大教育学部体育学科の博士課程で学んでいた本学の金久博昭学長と出会ったこと、学生時代の1981年に南米のアコンカグア南壁に行き、登頂はできたものの3日3晩飲まず食わずで目も見えなくなって死を覚悟した極限の経験をしたことなど、約60分の講義でこれまでの人生のさまざまなエピソードが披露されました。

山本教授は東大大学院を修了した1984年に本学と同年に開学した国際武道大学に助手として着任、本学には1998年に助教授として着任し、2005年から教授、2006年から昨年3月までスポーツトレーニング教育研究センター長も兼務しました。70歳、75歳、80歳の3回エベレストに登頂した登山家の三浦雄一郎さんが、お父様の敬三さん、息子さんの豪太さんの三浦家親子3代で山本教授の下を約15年に渡り訪れ、事前トレーニングを行うとともに戦略を立てていたこと、山本ゼミの研究内容や特徴、これまでの出版物など、参加者は山本教授の本学での25年間の歴史についてたくさんの興味深い話を聞くことができました。また、自身がまだ若く、思うように文章が書けなかった頃の苦い経験を通して「“努力した量(執筆した紙の重さ)”は裏切らない。登山はあきらめたらそこで死ぬのと同じで、ネバーギブアップの精神が大事」と若い研究者にエールを送りました。

講義終了後は本学がKKB鹿児島放送と共同で開発・展開しているエクササイズ動画の第2弾、山本教授がトレーニングの要素を栫ちか子准教授(スポーツ人文・応用社会科学系)に伝えてダンス風にアレンジして完成させた、山本教授監修の安全に登山を続けるための体操「Exhike(エクスハイク)」を栫准教授、この日のために栫准教授の指導の下で練習を重ねてきた山本ゼミOBで本学教員の山口大貴講師(スポーツ・武道実践科学系)、笹子悠歩助教(同)の3人が初披露しました。花束贈呈は山本ゼミOGでリオデジャネイロオリンピック日本代表(自転車競技女子オムニアム出場)の山本さくら(旧姓・塚越)さんが務め、最後は東京出張中の金久学長からサプライズのビデオメッセージも届きました。
「長い間、本当にありがとうございました。さらに輝く鹿屋体育大学の建設を! “私は山に戻ります”」の言葉で締めくくられた最終講義は、参加者からの惜しみない拍手とともにいつまでも余韻となって記憶に残るラストメッセージとなりました。

鹿屋体育大学39230

大学院棟3階での最終講義の様子


鹿屋体育大学39231

「Exhike」の3パターン、ベーシック・ハード・イージーを役割分担で同時披露する、左から山口先生、栫先生、笹子先生


鹿屋体育大学39232

山本さんから花束贈呈


鹿屋体育大学39233

終了後に自由参加で記念撮影

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報について

このページの情報の見つけやすさについて