“中学生時代の夢を実現!アスレチックトレーナーとして活躍中”

鹿屋体育大学7190

ほそかわ・しょうへい。1989(平成元)年12月13日生まれ。広島県福山市出身。2012年3月、鹿屋体育大学体育学部スポーツ総合課程卒業。2017年5月 University of Nebraska OmahaにてAthletic Training修士号を取得 卒業後、同年7月より公益社団法人日本ウエイトリフティング協会でアシスタントナショナルコーチとしてユースからシニアまで各カテゴリーのナショナル選手に対し、国内合宿や国外試合でのサポート活動に従事。

体育大学の学生の大多数が「プロ選手になりたい」「オリンピックに出たい」等、子どもの頃からそのスポーツでトップに上る夢を持っていたと思う。しかし怪我に泣いたり、自分の限界を感じて夢を諦めてしまったりと現実の壁に阻まれてしまうケースがほとんどだろう。それでも卒業後はスポーツに関わる仕事をしていきたいと望む人は少なくない。今回ご紹介する細川翔平さんもそんな一人だ。現在は日本ウエイトリフティング協会に所属するアスレチックトレーナ(AT)として、日本代表選手の海外遠征にも帯同している。

ATにあこがれたのは中学時代。 Jリーグの下部組織でサッカーをしていた時に捻挫をしてしまい、その時にたまたま診てくれたATに心を動かされたという。弱気になっていた心に寄り添い励ましてくれたことがとてもうれしく、それが、その仕事にあこがれを抱くようになったきっかけだった。

鹿屋体育大学に一般で入学し、フットサルやサッカーをしながら、2年生の時にはすでに学生トレーナーとして活動を開始。さらには大学教員の紹介でテキサスで仕事をするATについて現場見習いを2週間体験することに。この経験が決定的だった。さらに夢が大きく膨らみ、「鹿屋を卒業したら米国に留学してATの資格を獲得したい」と決意したのだった。

しかしすんなりと事は進まなかった。大学卒業後、留学資金調達のために1年間アルバイトをしながら英語の勉強に励み、ネブラスカ大学のオマハ校に進むはずだった。しかし英語は好きで得意なはずだったのに、現地に行ってみたら「何を話しているのか全く分からない」状態。再び現地で英語の勉強とATになるための準備に明け暮れることになった。

ネブラスカ大学のオマハ校には伝統的に日本からの留学生も多く、世界中から学生が集まっている。さらには周辺にアイスホッケーやバスケットボールの強豪校やチームがあって豊富な実習経験を積むことができる。環境としては最高の場所だ。米国に渡ってから語学学校を経て準備期間のコミュニティーカレッジでのAT体験授業、さらには大学院を卒業してATの資格を取るまでに細川さんは米国に4年間暮らしたことになる。「要領が悪くて人よりはかなり時間がかかってしまった」というが、その時間は無駄ではなかったようだ。さまざまな人と出会いながら友情をはぐくみ、目標に向かって一つ一つ課題をクリアーしながら努力を続ける粘り強さと探求心が細川さんの持ち味なのだから。実はその基礎は鹿屋で作られたという。

鹿屋体育大学での良さは、東京に比べて情報量が少ない反面、これだと決めたことに集中してやり遂げることができたことにあったという。日本全国から集まった仲間の地方色や一人一人の個性に驚きながらも知見を広め自分なりの価値観を作りたいと励んだ日々、そしてその環境の中で興味を持ったことを徹底的に行えたという自負が今の細川さんを支えている。その力がネブラスカに行って一層磨かれたのだ。

さらに帰国後すぐに日本ウエイトリフティング協会に所属するという幸運にも恵まれた。

「就職は縁と運とプラス・アルファーですね。本当に幸運でした」と振り返る。ウエイトリフティングの競技の知識がほとんどないに等しかった状態で、いきなり振られた仕事が2017年6月に東京の大田区で行われた世界ジュニア選手権大会。右も左もわからぬまま、ただただ一生懸命見て覚え、資料で復習する日々を続け、徐々にその面白さにのめりこんでいったという。さらにはその年の12月、米国アナハイムの世界選手権に通訳兼ATとして日本代表チームの一員として派遣されたのだ。「入ったばかりでこんな重責を担うなんて普通ではないことだよと皆に言われました」と細川さんはいうが、その大抜擢の裏には彼の仕事に対する真摯な態度があってのことと推察される。アナハイムでは二人の選手が目の前でメダルを獲得し、改めてサポートする喜びと感動を肌で感じたという。

アスリートが怪我をしないように本格練習に入る前後のストレッチメニューを考えたり、傷害からの復帰の過程をサポートしたりと、アスリートに寄り添いながらサポートする重要な役割を担うAT。

夢は、かつて中学生だった時に親身になってくれたATのように、携わる一人一人の選手に寄り添って自分が受け取ったATのバトンを次の人に渡せるようになることだという。

(スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋泰子)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。

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