日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

スポーツ人文・応用社会科学系 北村 尚浩

「短距離選手だったのでシュッとしていて、そりゃあもうカッコよかった!」。学生時代の北村先生を知る共通の友人が、若かりし頃の容姿を絶賛する。第4代同窓会会長としてスーツでビシッと決めている姿は、気品があって今もスタイリッシュだ。地域活性化のためのBlue Winds事業では、「みんなのタイムトライアル」などのイベントにも統括責任者として積極的にかかわり、その輪が鹿屋市を越えて県内に広がりつつある。物静かであまり表に出すタイプではないが、母校愛と秘めたパッションは熱い。一を伝えて十を理解してもらえることも多く、さすがは本学の“3期生”である。

研究内容をひと言でわかりやすく教えてください。

北村 そのときどきの体育やスポーツで、社会的な問題になりそうことに飛びついて研究をしています。具体例を挙げると、学校が週休二日制になって部活動をどうするかとか子どもの体力低下が問題になった時にはそのテーマに取り組みましたし、2012年4月から中学校の体育の授業で武道とダンスの領域が必修化されたときにはその課題と展望について研究しました。また、地域スポーツの振興やスポーツツーリズム、スポーツイベントで地域を活性化するにはどうしたらいいか、といったことにも研究テーマとして取り組んでいます。

北村先生は本学3期生ですが、学生時代は陸上競技部の短距離選手だったと伺いました。陸上を始めたきっかけは?

北村 中学3年生の時に着任してきた体育の先生が、最初の授業の日に声をかけてくれたんです。何部だと聞かれて「放送部」って答えたら、「お前センスあるから、陸上をやれ」って。体育の授業って面白くないから、それまで体育は嫌いでした。その先生が授業を受け持っていたのは3年生ではうちのクラスだけでしたので、そのときの巡り合わせがなければ、今ここにいないですね。

高校時代ももちろん、陸上部ですよね。そして愛知県の高校から鹿屋体育大学へ。

北村 陸上をやるまではアナウンサーやテレビのディレクターなど放送業界にあこがれていたので、高校3年の春ぐらいまではまだ迷っていました。でも陸上をもっとやりたいという気持ちが次第に強くなって、鹿屋体育大学は国立大学ということで授業料が安かったし、開学して間もない新しい大学というのがとても魅力的でした。両親が熊本の出身で小学校に入るまでは熊本で過ごしたので、同じ九州にある大学ということで親近感もありました。

学生時代の1番の思い出は?

北村 大学3年生の時に第58回九州学生陸上競技対校選手権大会で、男子4×100mRで九州学生新・大会新の記録を出して優勝できたことです。

ー第4代同窓会会長として同窓会についてもお聞かせください。

北村 大学教員の傍らでやっているのでどうしても片手間になってしまって、未だに同窓会組織が大学のお世話になっているのが申し訳ないです。若い世代の卒業生は大学に対する愛着が薄いのかなと思っていたのですが、卒業生インタビューを読ませてもらったり、話を聞いたりすると1期生、2期生の先輩方と変わらず母校への愛情を感じます。早くコロナが終息して、対面での同窓会を開催できる日が戻ることを願っています。

学生に期待することは?

北村 せっかく日本中からいろんな競技をやっている人たちが集まっているので、種目や課外活動の枠にとらわれずにもっと本来の大学の横のつながりも広げていってもらいたいです。体育大は専門性が強い大学なので、コミュニティーが小さく、狭いところしか見ない傾向にあります。大学にいる間に広い視野で社会を見る力を身に付けてから、卒業してほしいですね。アンテナを張り巡らすことで、体育やスポーツの世界に限らず、さまざまな分野で活躍できる自分の生き方を見つけることができると思います。

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。