日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

イラストプレゼン講師

河尻 光晴さん

かわしり・みつはる。1974年4月30日、岐阜県生まれ。岐阜県立加茂高等学校から鹿屋体育大学へ進学、1997年卒業。兵庫教育大学大学院修了(教育学修士)。教育出版社の商品開発を経て、中小企業のマーケティングやブランディングのツール企画制作に携わる。担当したクライアントは延べ600社以上。ライフワークとして似顔絵師としても活動しており、2015年からイラストの技法や使った研修やセミナーを開始。講師活動と共に、教材開発・コンテンツ開発も行っている。

えッ?鹿屋体育大学の卒業生でイラストを教えている方がいる? このミスマッチにもうびっくり。在学時代は陸上競技部で中距離の800mを専門としていて、金高宏文教授から「イラストが上手いそうだな。陸上競技部のTシャツ作ってよ」と頼まれたこともあるそうだ。まだまだゆるキャラなどが流行する前だったのだが、桜島を模したキャラがゴールテープを切る奇抜なデザインで、鹿屋体育大学陸上競技部初のオリジナルTシャツを作成。先輩たちの活躍と共に、そのTシャツはインカレの会場でかなりの話題になったとか。

岐阜県、下呂温泉のある山の中で育った河尻光晴さんは子どもの頃から走ることと絵を描くことが大好きで、高校時代には陸上競技の中距離800mで県のトップになり、鹿屋体育大学へ進学した。あと一息というところでインカレの全国大会に出場することはできなかったが、陸上競技で最も過酷と言われる800mで身につけたノウハウは生きる技術として役立ってきたようだ。800mはただ速いだけではなく、相手との駆け引きや転倒の危険回避等、多くを求められる種目だ。客観的に自分が走るポジションを確認しながらゴールを目指す、まさに河尻さんが歩んできた半生そのものだ。

子どもの頃からなりたかった教員を目指して、教員試験を受けるも、就職氷河期で県内の枠は一つだけで、挑戦はあえなく失敗。しかし、それにめげることなく、何とか教育関係の仕事に就きたい一心で、兵庫教育大学大学院で教育学の修士を取得した。民間の教育関係出版社で営業や、企画開発、教材開発などに携わる。そこでデザインに興味を抱き、35歳で転職。印刷会社に勤務する傍ら、副業で似顔絵師の仕事を始める。さらには、教える仕事もしたいと、チラシや名刺の作り方セミナーをビジネスマンや教師を対象に開催。コロナ流行と共に「絵を描いてオンラインで説明するとプレゼンテーションが上手くいくよ」をキーワードに授業を展開。するとこれが爆発的な人気を博し、多くのビジネスパーソンがオンラインで参加するようになった。

そこで、2021年6月に絵を描くことを仕事にしようと独立を決意。47歳の時だ。イラストレーターや漫画家としてはあまりにも後発だ。そこで、誰もがイラストを描けるようになり、それをコミュニケーションツールとして使ってもらえるようにしたいと「描くこと+教えること」を自分の仕事と位置づける。これまでの一般的に行われてきた「書く+話す」に、棒人間と命名した絵が加わることで、思考が整理され、コミュニケーションスキルがアップしていくことを目標としている。立ち上げた看板は「イラストプレゼン研究所」だ。

「棒人間」は丸い顔に棒で手足を描いただけのものだが、人間の動作の基本がわかっていないと描けない。そこには河尻さんが体育大学で学んだ強みが生きている。バイオメカニクスのモーションピクチャーを扱った経験、さらには解剖生理学に基づく基本的な人間の動き方を習得していることが役立っているのだ。

今では一般のビジネスパーソンだけではなく、理学療法士やスポーツ指導者など、人間の身体にかかわる仕事に従事する人たちもセミナーを受講するようになっている。こうしたイラストとともに説明をしてもらえる患者や子どもたちは、説明されていることへの理解が進むこと間違いなしだろう。

日本国内の需要だけではなく、一昨年からフランスの日本語学科の高校生や、イタリアのベネツィア大学の学生を対象として、日本の文化紹介の一環としてリモートで授業を行っている。日本のアニメ文化が浸透している欧州だけに、若者たちは河尻さんの授業に食いついてくるという。

2023年2月には初めての著書が出版される。タイトルは「棒人間 活用法」で、イラストが仕事の現場でどう使われるとよいかというビジネス書のジャンルに入るものだ。世の中、パソコンのパワーポイントなどを使ってのプレゼンテーションが全盛だが、こうしたイラストを自分で描けるとずいぶんと訴求力も変わってきそうだと思わせてくれる。
好きなことを仕事にできる喜びと、後悔しない生き方をしたいという想いを抱きながら、河尻さんは、時代のニーズに合わせて自分の生きる位置をしっかりと見つめている。

(スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋 泰子)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。