日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

皇宮警察本部護衛第一課所属

斧 志津江さん

斧志津江さん

【プロフィール】
おの・しづえ。1987(昭和62)年8月12日生まれ。志学館高等部(千葉県)から鹿屋体育大学体育学部スポーツ総合課程に進学、2011年3月卒業。

子どもの頃から白バイにあこがれていた。夢を実現したのが24期生の斧志津江さんだ。
かっこいいなあという警察官に対する淡い憧れはあったが、実際の仕事の対象として思い描くようになったのは、大学にあった皇宮護衛官募集のパンフレットを見た時だった。さらにそれが確信に変わったのは、正月に帰省し、祖父母と出掛けた正月の一般参賀で皇宮護衛官の姿を目にした時だった。「やはりこれだ!これしかない」とひらめいたという。パンフレットを頼りに応募し、半年間の皇宮警察学校での授業を経て、晴れて国家公務員の皇宮護衛官となった斧さんは、現在、護衛第一課に所属し、天皇皇后両陛下及び愛子内親王殿下の護衛を担当している。
憧れだった白バイに乗る訓練は何年も続く厳しいもので、途中でリタイアする人が多いと聞く。斧さんは諦めず、見事最終の白バイ・側車の運転技能検定にも合格した。女性でこの検定に合格したのは皇宮警察では現在のところ斧さんだけだ。数年前に白バイ訓練員として全国白バイ安全運転競技大会にも出場して、最初の夢を実現させた。まさに子どもの頃からの夢をただひたすら追い求めた形だ。ただし、まだ実際に白バイで両陛下を護衛した経験はない。新任の外国の特命全権大使が信任状を天皇陛下に捧呈する際に1800ccの黒いサイドカーで護衛に付いた経験はある。これも誰もができることではない。
斧さんが鹿屋体育大学を卒業したのは平成23年で、同期にはリオ五輪の自転車ロードレースに出場した内間康平さんがいる。アスリートとして競技を極めるために体育大学に入る学生が多い中、斧さんは違った。どちらかというとスポーツをテーマに勉強したいという思いが強かったという。テニス部に所属したものの、それほど強い選手ではなかったこともあり、最初は周囲のレベルに圧倒されるばかりだったという。来る日も来る日も続く灼熱の太陽の下での練習の日々、それは決して楽しかったと言い切れるものではなかった。しかし、その中でもスポーツボランティアで地域の人たちと交流をする時に味わった何とも言えぬ心が通い合う楽しさは今も忘れられないという。ゼミはスポーツ経営学だったが、卒業論文は知的障がい者の身体活動論を選んだ。双子の弟がダウン症だったこともあり、このテーマを選んだ。授業で柔道初段を取り、海洋スポーツをはじめとし、できるだけ多くのスポーツを授業でとってきた。興味の幅が広く、なんでもやってみたいという思いで過ごした4年間、その体験、鹿屋でのスポーツ三昧の日々は今の仕事に大いに役立つこととなる。
天皇皇后両陛下はアクティブな生活をなさることでも知られている。登山にスキー、海水浴、さらには皇居内での日常的なジョギングなど、両陛下が身体活動をされる時、護衛官も同じような活動を要求される。一緒に山に登り、海で泳ぎ、皇居を走る。斧さんのスポーツ経験はそうした時に大いに役立つこととなる。競技として一つを極めるというのではなく、ウェルビーイングとしてスポーツを生活の中に取り入れることの大切さを大学で学んできたことが、仕事でもそのまま生きることになったのだ。
千葉県の木更津市にある志学館高等部から鹿屋体育大学に入学する時、周囲からは、そんな遠いところになんで行くんだという声もあったと言うが、振り返ると、本人は、勉強やスポーツに集中できて最高の環境だったという。できるならばもっともっといろんなスポーツ体験をしたかったと笑う。都会では経験できない4年間がスポーツオールマイティーな女性を作り、見事な皇宮護衛官を誕生させた。
「今は日本の歴史のある意味中心にいることに誇りを持って仕事をしています」という斧さん。彼女の仕事を支えているのはスポーツで培った逞しい身体と精神、そして生活の中でスポーツを楽しむことの大切さを知っていることだろう。斧さんは体育大学が持つ意義の一つが意外なところでも生きていることを教えてくれた。

(スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋泰子)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。