日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

日本航空株式会社パイロット

大瀬 拓人さん

おおせ・たくと。1991(平成3)年11月5日、鹿児島県生まれ。鹿児島県立鹿児島中央高等学校から鹿屋体育大学スポーツ総合課程に進学。2014年3月、卒業。同年12月、航空大学校入校。2017年10月、日本航空に入社。地上勤務、運航乗務員訓練生を経て2020年3月より副操縦士。国際線も飛ぶボーイング767型機で、現在は北海道から沖縄まで国内線をメインに飛んでいる。

JALの翼に夢を乗せて

空港でパイロットの制服に身を包み、さっそうと歩く姿を見て「カッコいい!」と思った経験を持つ人は多いのではないだろうか。そんな憧れの職業への夢を実現させた大瀬拓人さん。会う前から「さわやかな体育会系のナイスガイ」だと聞いてはいたが、誠実さと責任感の強さ、ひたむきさがプラスされ、好感度は予想を遥かに上回った。副操縦士としてデビューして今年の3月で2年。安全な空の旅を約束するために、学生時代にサッカーで鍛えた精神と体力を武器に、JALの翼できょうも夢を運ぶ。

鹿屋体育大学に進学しようと思ったのは?

大瀬 プロサッカー選手になりたかったからです。プロになるためにはスカウトマンの目に留まる必要がありますが、鹿屋体育大学のサッカー部は私が中高生の頃は天皇杯でJリーグを倒すほど強かったので、体育大に進学するのがプロになる近道だと思っていました。また、地元鹿児島の大学で活躍してプロになりたいという思いもありました。

パイロットに進路変更したきっかけは?

大瀬 総理大臣杯全日本サッカートーナメントで関西遠征に行った際にJALの飛行機に乗って、そのとき初めてパイロットを職業として意識してカッコいいと思いました。調べてみたところ自分にもまだなれる可能性があることがわかり、3年生の全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)まで出場した後、航空大学校に進学するためにTopチームからNIFS に移り、サッカーは4年生まで続けつつも勉強に集中するという形をとらせてもらいました。航空大学校の試験まであと半年ぐらいしかなく、研究棟2階の1番奥にあった添嶋裕嗣先生(令和3年3月で定年退職)のゼミ室で1日7~8時間ぐらい勉強したことを懐かしく思い出します。もともと勉強は苦手で大嫌いだったのですが、パイロットになりたいという具体的な目標ができてからは苦になりませんでした。プロサッカー選手よりもパイロットの魅力の方が上回った、という感じでした。

パイロットになるまでに、どんな経験を積まれたのでしょう。

大瀬 航空大学校への入学時期は4回に分かれており、私の場合は鹿屋体育大学を2014年3月に卒業してその年の12月に宮崎の航空大学校へ入学しました。そこで座学を学び、帯広、宮崎、仙台での訓練を経て2年4カ月で卒業、第一志望だった日本航空の試験を受けて2017年10月に入社しました。入社後は1年間の地上勤務を経て訓練生になり、2020年3月に副操縦士に昇格しました。日本航空の場合、機長になるには副操縦士として最低10年の経験が必要だと言われています。

パイロットとして大事にしていることは?

大瀬 あえて一つ挙げるとすれば、コミュニケーションです。不安に感じたり疑問に思ったりしたことは、積極的にキャプテンに確認するようにしています。また、パイロットは直接お客さまと接する機会がほとんどないので、お客さまに安心してお乗りいただけるようコックピットからアナウンスをすることも大事だと感じています。

順風満帆な人生のように思えますが、ご自身ではどう感じていますか。

大瀬 うまくいくことといかないことが交互にやってくる、私の人生はその繰り返しです。幼稚園から始めたサッカーもそうで、高校時代は常にレギュラーでしたが、大学に入ったらなかなか試合にでられないことも多く、苦しい時期がありました。そんなときも練習を続けたことで全国大会に出場でき、3位という経験ができたのは今でも忘れられない思い出です。学生時代にスポーツを通して身についた判断力や先を予測する力、健康管理を含めた自己管理能力は今の仕事にも生かすことができていると感じています。

最後に後輩たちに向けてメッセージをお願いします。

大瀬 大学生の時に父から教わった「人間万事塞翁が馬」ということわざを紹介させてください。私自身、このことわざに救われて今日があります。人生の禍福は転々として予測できないことのたとえとして使われますが、今幸せを感じている人はそれにおごることなく自分を律して、つらい思いをしている人はそれが続くわけではなく必ず幸福がやってくるので、それを信じて努力してみてください。人生を振り返った時に、いい方向にきていると思える日がきっと訪れると思います。

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。