日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

女子バレーボール選手

内瀬戸 真実さん

内瀬戸さんの写真

うちせと・まみ。1991(平成3)年10月25日、宮崎県延岡市生まれ。宮崎県延岡学園高校卒業後の2010年、鹿屋体育大学スポーツ総合課程に入学。4年次に日立リヴァーレ(現日立Astemoリヴァーレ)の内定選手になる。2014年3月卒業し、日立リヴァーレへ。同年4月に日本代表に選出される。2015年、ワールドカップに日本代表選手として出場。2017年日立を退団し、イタリアへ。2018年、トヨタクインシーズに入団。2020年6月、埼玉上尾メディックスに移籍。2023年4月28日、現役引退を発表。

今年10月に行われる鹿児島国体の女子バレーボールの試合で、内瀬戸真実さんの雄姿が見られそうだ。内瀬戸さんは今年4月に31歳で現役引退発表。しかし、鹿屋体育大学の濱田幸二監督からの要請で、国体出場という最後の舞台が用意されることになった。

延岡学園高校時代にインターハイや春高バレーで活躍した内瀬戸さんが鹿屋体育大学から声をかけられ入学したのが2010年のこと。実は練習の厳しさを耳にしていたので、入学するかどうかかなり悩んだそうだ。しかし、日本一になってみたいという思いが最後には優る形になった。

たしかに、鹿屋の女子バレーボール部の練習は高校時代とは大違いだった。レシーブは3本連続してセットされた網の中に入れるまで続けられる。パスは相手が動かずにとれるようにする。ボールを手の中でキャッチして一瞬の間を作る。これらの細かな基本練習が延々と続く。入学した年に先輩たちが日本一になっているのを見ていたからこそ耐えられた練習で、競技人生の中でも、個人技としては一番つめた時期だったという。

4年生になった時、見事全日本インカレ優勝を果たし、内瀬戸さん自身もスパイク賞、ブロック賞、さらにはレシーブ賞も受賞している。レシーブ賞も受賞するというのは珍しいことだ。大学でのあの3度連続して網に入れるレシーブ練習があったからこそのレシーブ賞だ。このレシーブの技術がその後、内瀬戸さんをさらに輝かせることになる。

身長は171センチ。バレーボール選手としてはそれほど高い身長ではない。大学を卒業したらバレーとは縁を切って理学療法士として仕事をしたいと夢を持っていた。しかし日立リヴァーレからオファーがあると、若い時しかバレーはできないからと実業団行きを決断する。実業団はこれまた今までとは全くレベルが違い、ボールのスピードと動きの速さにかなり戸惑った。しかし、入団1年目の1月にプレミアデビューを飾ると、何と4月にはVプレミアリーグのニューヒロイン賞に輝き、さらには日本代表にも選ばれる。全日本の真鍋監督が内瀬戸さんのサーブレシーブ力を高く評価してのことだった。大学で微に入り細を穿つような練習を重ねてきたことが改めて評価されたのだ。

ワールドグランプリやワールドカップなどに日本代表として出場すると、2017年にはイタリアのセリエA2ヘルマエア・オルビアに入団して1年間プレーをする。周囲を驚かせる決断も、本人は、日本代表として外国勢と戦うために勉強しに行ったと語る。常に身長の高い選手とプレーすることでブロックの見方が変わってくる。さらにはブロックを意識しながらのスパイクなど、国内での練習では得られないものが見えてきたようだ。性格的にはおっとりとしており、どこにそんな決断力があるのかと思うが、新しいことにチャレンジして、知らないことを知っていくことに大きな喜びを感じるのだそうだ。

東京2020の代表からは外れてしまったが、その後、再び真鍋監督からレシーブ力を買われ、最後、リベロとして全日本に起用される。埼玉上尾メディックスで2023年のシーズンを持って引退することが発表され、内瀬戸さんは「やり切ったので、次に進みたい」とさばさばした様子を見せた。

小学1年生から始めた25年間のバレーボール人生で、一番楽しかったのは大学時代と言い切る。バレーボール界と言えば、暴力やハラスメントが多いことをイメージする人も多いが、大学時代はそうしたものと全く無縁だった。学年を超えて同じ目標を持って、厳しい練習を乗り越えていった日々。先輩後輩という枠を超えて仲が良く、一人暮らしの身には、先輩が気にかけてくれてたり、食事に誘ってくれたりしたことが嬉しかったという。最高に楽しかった思い出は、真夏の練習後、皆で荒平天神に向かい、アイシングと称して海に飛び込んで泳いだことだそうだ。仲の良い選手たちの声が聞こえてくるようだ。

コロナで延期になったことで鹿児島国体は今年行われる。この運命のめぐり合わせを古巣に帰って思う存分楽しんでほしい。濱田幸二監督と共に行う10年ぶりのバレーボール。今度はどんな発見や気づきがあるのだろうかと内瀬戸さんの心は早くも鹿屋の体育館に戻っている。

(スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋 泰子)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。