日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

スポーツ・武道実践科学系 坂中 美郷

坂中先生の写真

“飄々(ひょうひょう)としていて、マイペース”の印象がある。坂中美郷先生にはふわふわっとした雲のようにつかみどころのない不思議な雰囲気があり、近づきがたいのかと思いきや、くったくのない笑顔で人懐っこい表情も見せる。自身もバレーボールの強豪校として知られる九州文化学園高校から鹿屋体育大学に進学した、厳しさの中を生き抜いてきた女性アスリート出身だ。濱田幸二監督率いる鹿屋体育大学女子バレーボール部のコーチとして、本学を全日本インカレで4回優勝に導いた。女子バレーボール部になくてはならない存在である。

研究内容をひとことで教えてください。

坂中 バレーボールのコーチングです。「戦術より技術」をキーワードに、選手ができないことをできるようにするためにどういう練習をしたらいいのか、というところをコーチングする研究をしています。

女子バレーボール部のコーチも兼務されています。ご自身はいつから始めたのですか。

坂中 小学校3年生からです。クラブがバレーボールしかなかったというのもありますが、小さいときから身長が高くて、必然的にバレーボールをするもんだというような流れの中、周りの勧めもあって始めました。最初からずっと指導者に恵まれ、高校からは親元を離れてバレーボールの名門校と言われる長崎県佐世保市にある九州文化学園高校に進学し、寮生活を送りました。

本学の20期生で卒業生でもありますが、鹿屋を選んだのは?

坂中 鹿屋は厳しい練習をするところだっていう噂は聞いていたんですけど、高校時代にケガをして十分に結果を残すことができなかったということもあって、大学でもバレーボールを一生懸命やりたい、もうちょっと頑張りたいなっていう想いがあったので、あえてそういうところを選びました。私が入学した時は監督の濱田幸二先生もまだ30代でバリバリ厳しくて、本当に練習もきつかったんです。私は教え子なので、先生の気持ちも学生の気持ちも両方わかってあげられる、みたいなところはあるかもしれません。濱田先生も今では随分やさしくなりましたが、厳しくしないと日本一は取れないんだなっていうことを日々学びながら過ごしています。

20期生は課外活動を越えて、全員仲がよかったそうですね。

坂中 20期のグループラインがあって、今でもたまに“仕事でだれだれに会ったよ~”みたいな感じで写真付きで近況報告が入ってきて、みんなで懐かしむ、みたいなのはありますね。学生時代から仲が良くて、飲み会も多かったし、だれかの家に集まったり、公園でバーベキューをしたりしていました。音頭を取る人がいて、それがありがたかったです。みんなが学生時代を懐かしんであの頃に戻りたいとか、鹿屋に行きたいとかって言うんですね。なので、その場に私が今いるってことが幸せなことなんだなって思います。私の故郷の雲仙市はここよりも田舎なので、鹿屋って都会だなーって思うんですよ。海と山が雲仙にもあって、雲仙普賢岳が時々噴火したりしていたので、地元は出たかったのに、地元と似ている鹿屋市が好きで、入学した時からずっと鹿屋に住めたらいいなって思っていました。それが実現しているのはうれしいです。今の学生もそう思ってくれているんですかね。卒業生全員が、鹿屋、よかったなって思ってくれたらいいなって思います。

テレビで坂中先生が女子バレーボール部の学生のためにおにぎりをつくっているシーンを拝見しました。

坂中 今は体育館が工事中でおにぎりをつくれないんですけど、試合が近くなると結構毎日つくっていました。練習を見ているとイライラすることも多いので、私はおにぎりをつくりながら考え事をして、心を落ちつかせるんです(笑)。練習が終わる時間が結構遅いので、おなかが空いた状態で帰ってコンビニ食とかを食べられるのも困るので、練習の終わりにみんなに配って、体育館で食べて帰ってもらうようにしていました。学生が頑張っているので、おにぎりをつくるのも苦じゃないんです。

「第67回秩父宮妃賜杯全日本バレーボール大学女子選手権大会ミキプルーンスーパーカレッジバレー2020」(全日本インカレ)では、4年ぶり4回目の優勝を果たしました。

坂中 あの頃はコロナの真っ最中で、毎日びくびくしながら練習をしていました。本当はもっと追い込みたいけれど、そうすることで免疫力が下がってインカレに行けなくなったらどうしようという不安が常にありました。でもいざ試合が始まったら、えー、そんなプレイもできるんだって驚きの連続でしたね。

女性のコーチの存在は、女子学生にとってとても重要だと思います。

坂中 女性アスリート特有の悩みに寄り添って、サポートできたらということは常々思っています。鹿屋体育大学女子バレーボール部の取り組みを何かしら発信して、先導を切って時代を変えていけたら。コロナがきっかけなのか、学生と接していてそうなったのか、理由はわからないんですけど、この2~3年で私も時代とともに変わっていっています。以前は自分の中のこうあるべきだ、が強かったのですが、指導者も教員も柔軟に対応していかないとと思うようになり、「やさしい坂中先生」になりました(笑)。

坂中先生から学生へのメッセージをお願いします。

坂中 まずは健康が一番だと思うので、自分の心と身体を大事にしてほしいです。自分が元気じゃないと人にもやさしくできません。将来何をやりたいかわからないとか、夢や目標が見つからない学生もいるでしょう。そういう人は「今」を大事に、今あるやるべきことを日々一生懸命やっていくことで新たな道が開けていくと思います。よりよい学生生活になるよう、我々教員も全力でサポートします。

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。