日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

西郷隆盛の遺訓集『南洲翁遺訓』は、戊辰戦争で寛大な処置をとった西郷への恩義・感銘から庄内藩士が中心になって西郷から聞いた教えをまとめ、全国に広めたとされている。成田健造先生の故郷が旧庄内藩の中心地だった現山形県鶴岡市だと知り、鹿屋体育大学にいること自体が必然的に思えてならなかった。取材中に幾度となく飛び出した「あしたの人のため」という言葉から、たとえ今は厳しいと思われようが、学生の未来を考えている誠実さがのぞいた。「研究を頑張ることが自分の成長につながり、研究をやめたら自分のオリジナリティーがなくなる」とも話す。苦労が自身を強くすると知った経験を糧に、困難と向かい合って前に進むことが成長のチャンス、と自らを律しているのだと思う。研究分野に新たな一石を投じるべく、既存の枠組みにとらわれない視点と熱い想いで研究に臨む。

成田先生のご出身はどちらですか。

成田 鹿児島市と兄弟都市盟約を結んでいる山形県鶴岡市の出身です。その関係で、それぞれの郷土料理を学校給食で交換する交流給食が行われており、昔給食で鶏飯を食べたことを鹿屋に着任してから思い出しました。とても美味しかったのですが、当時嫌いだったシイタケが入っていたので覚えています(笑)。

研究内容をひとことで教えてください。

成田 水泳のバイオメカニクス、特に流体力学が専門です。高校生にも分かりやすく言えば、どうやって速く泳げばいいかを、水と人の関係から考える、ということです。

水泳はいつから?

成田 5歳ぐらいです。鶴岡市は水泳が盛んなところで、4つ上の姉、2つ上の兄が習っていてとても楽しそうに見えたので、自分からやりたいと言いだしたらしいです。うるさいからプールに入れちゃえっていうのが私の水泳の始まりだった、と両親から聞いています。

国民体育大会水泳競技に山形県代表として出場するなど、高校生時代から大活躍でした。

成田 水泳の合宿や国体出場、年末のハワイ合宿など、高校では200日ぐらい休みました。でも公欠なので、クラスで唯一の皆勤賞。「あいつ一番休んでいるのに」って、クラスメイトにいじられた思い出があります。私自身の自由な考え方は、私のやりたいことをサポートしてくれる環境だった高校時代に育まれたのかもしれません。

卒業後は、新潟大学へ。

成田 実は1年浪人しているんです。水泳での推薦入学の話はいくつも頂いていたのですが、それまでかなりハードに水泳をやってきたので当時は大学に進学してまで水泳を続けたいとは思えませんでした。そのため、国公立や私立を一般推薦や一般入試で受けましたが、全滅でした。高校生でもない、大学生でもない「浪人生」っていうその屈辱感が自分の中ではすごくて、私の人生でトップ3に入る大変な1年でした。ここで勉強しないと自分の人生がダメになる、と初めて自分自身の人生に向き合ったのが予備校でした。

予備校はどちらへ?

成田 河合塾の仙台校で、1年間寮生活を送りました。予備校って、点数を取るためのテクニックを教えてくれる場所だと思っていたんです。でもここで出会った現代文の三浦武先生は、作者や文章の背景についても話をしてくださる先生で、その先生の話を少しでも自分のものにしたいと思って一生懸命メモを取りながら聞いていました。学ぶということに対する興味を引き出してくださった恩師であり、あのときの出会いがなければ少なくとも博士号は取っていなかったと思います。

結局大学でも水泳部へ。。

成田 自分ではあまり頑張らずに、楽しくやろうと気軽な気持ちで新潟大水泳部に入部したのですが、全国国公立大学選手権の800mリレーのメンバーに1年生から選んでもらって、3年生の3名の先輩と一緒に出場しました。そしたら決勝に進出できなかった時に、先輩たちが泣いていたんです。入学してから自分がとてもお世話になっている、信頼する先輩たちを泣かせてしまった自分のみじめさに向き合わされたのが、1年生の8月のその大会でした。そこから真剣に速くなりたいと思って、自ら努力するようになりました。学内にプールがなかったので、水泳部は民間プールの営業前の朝5時40分から100分練習してそれから大学に行っていたのですが、大変でありながらも、とても充実していたんですよね。

大学院で筑波大学に行ったのは?

成田 新潟大学の恩師である大庭昌昭先生に、水泳について研究するのに一番の大学を尋ねた所、ご自身の母校でもある筑波大学を薦められたんです。そして、筑波大学進学後にも、恩師である高木英樹先生をはじめ、いくつもの素晴らしいの出会いがあり、これまでずっと恵まれた人生を送ってこられていることに感謝しています。

鹿屋体育大学の魅力について教えてください。

成田 私個人としては、今頑張っていることや大切にしていることをお互いに認め合える素晴らしい同僚に恵まれて、とてもいい環境で仕事をさせてもらっているので、まずそこが魅力だと思っています。本学には「全国でただ一つの国立4年制体育大学」というキャッチフレーズがありますが、私は、これは事実であって、魅力ではないと思っているんです。私としては、「教員がいいからこの大学に来た」と言ってもらえるような教員になりたい、ならなきゃいけないって思っています。  

好きな言葉があれば。

成田 何か選択肢で困ったときに、自分の中で持っている基準として「あしたの人のため」っていうのはあります。学生と向き合っているときに、目先のアドバイスをするのではなくて「この学生の将来のためになる今の私の行動は何だろう。この学生が将来なりたい像になるためには、今の自分はどういうアプローチをしなきゃいけないんだろう」ということをまず考えます。こちらが正解に近いものを知っていたとしても、学生に考えさせなきゃいけないときがある。学生には私の口癖は「いい感じにやっといて~」だって言われます(笑)。自分で考えて、選択して、決断して、行動する人間になる必要があると思うので、自分の人生自分で決めろよ、と言いつつも決して放置ではなく、後押しをすることは意識してやっています。  

日本スポーツ協会(JSPO)の講習会講師のほか、部活動地域展開の指導者研修の講師もされています。

成田 実は私自身、博士号を取得したら何でも分かるようになるって思っていたんですよ。でも実際に取得した時に最初に思ったことは「分かんないことって、いっぱいあるんだなー」でした。今正しいと思われていることも、実は正しくないんだよねっていうことに気付けたのが、その時だったんです。学生にも正解っていうのはなくて、どっちもメリット、デメリットがあって、それを踏まえたうえで自分がどうしたいか、どっちを選びたいかというのを大事にしてほしいと言うようにしています。なので、正解がないということをちゃんと言える人間でありたい。先日鹿児島市で行われた県の指導者講習会の場でも、私は指導者としてこれが正解だということを教える気はない、とはっきり言いました。だから、ある意味もやもやしながら帰った人が多かったかもしれません。正解がない中で指導者の思う「正解」を教えようというのは、本来素晴らしい花が咲くのに、普通の花しか咲かない、もしくは枯らしてしまうような働きかけをしている感じだと思うんです。いつか指導者の方に、私が本当に伝えたかったことに気付いてもらえたら。そして、それができるだけ指導者の方に伝わるよう、私自身も正解を決めつけず、指導者の方々の理解を深め、サポートしていきたいと考えています。指導者が素敵になれば、子どもたちにも楽しさが伝わって、日本全体がハッピーになると思うんです。スポーツ系・文科系を問わず、部活動を通して幸せな世界になってほしいっていうことは結構本気で思っています。 

最後に成田先生の今後の夢と抱負を教えてください。

成田 まずは娘たちにとって、「お父さんカッコいい」って言われるような父親になりたいっていうのがあります(笑)。木村拓哉、キムタクの2人の娘さんがファンからの質問で「パパのかっこいい所どこ?」って聞かれて「全部」って答えたっていう動画を見て、うわ~素敵!って思ったんです。もちろん、見た目も頑張らなきゃいけないんですけど、仕事もちゃんとしていなかったら、たぶん子どもたちには分かるんですよね。いずれ子どもたちが自分はどんな人間になりたいかを考える年齢になったときに、私がやっていることや考えていること、マインドについて素直にカッコいいと思えるようになりたいなって思っています。抱負はコーチデベロッパー(コーチ育成者)として、水泳に限らずさまざまな種目に関わることができているので、スポーツや部活動を通して人がハッピーになるのをサポートできる指導者を育成することに尽力し、あしたの人のために活動をし続けていきたいと思っています。  

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。