日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

小麦色に焼けた肌でさっそうと歩く中村夏実先生には、さばさばしてカッコいい海の女性のイメージがある。はつらつとした姿は自信に満ち溢れた体育会系そのものだが、本人は暇さえあれば小説を読むインドア派で、“スーパーネガティブ女”だと笑う。海洋スポーツセンター長とカヌー部・漕艇部の顧問教員も務め、全国から集まった優秀な学生たちが中村先生指導の下でインカレや全日本選手権での優勝を目指して日々トレーニングや練習に励む。気さくな人柄は「中高年齢者のためのSUPエンジョイ&健康教室」など、地元からの一般参加者が多く集う公開講座でも人気だ。世界の舞台で活躍する現役オリンピアン誕生のニュースを聞ける日も、そう遠くないだろう。

研究内容をひとことで教えてください。

中村 具体的には大きく分けて2つあります。一つ目は、水上パフォーマンスの評価方法に関する研究です。カヌーやボートなど、水上競技種目の競技力向上を目的として、選手の体力を評価し、技術を評価し、それらを結び付けて効率よく艇(=競技艇)を進めるにはどうしたらよいかを考えています。もう一つは子どもから高齢者まで、生涯スポーツとしての海洋スポーツ全般の役割や健康増進に及ぼす効果について実践研究を行っています。

中村先生は日本女子体育大学のご出身ですが、なぜ体育大に?

中村 子どもの頃、早熟で人よりちょっとだけ足が速かったので、中学まで周囲の勧めで陸上の道を歩んできました。陸上は決して嫌いではなかったのですが、本来は本を読んだり、絵を描いたり、ピアノを弾いたりすることが好きだったので、高校時代は運動部の部活動を毎日はやりたくないという感覚で、語学教育が特徴の大学の附属高校へ進学しました。でも周囲に押されて陸上を完全にやめるでもなく、何ともはっきりしない時間を過ごしていました。そのことに対する反省もあり、進学か就職を考えるタイミングで、部活動をちゃんとやる=体育大、という単純発想により、日本女子体育大学を選択しました。ところが高校時代は大した結果を残せていないので、いざ陸上競技部に見学に行ってみたら敷居が高くて入れなかったんです。そこから水泳部に行ってみたり、新体操部の伴奏をやってみたり、いろんな部を転々としました。当時は進路を間違ったと思っていました。

海洋スポーツとの出合いは?

中村 ライフセービング同好会で救助活動をやったことが最初だったと思います。そこで、すでに漕艇同好会に所属していた同期の2人に、あと一人入れば花形と言われている8人乗りのエイトに乗れるから入らない? って誘われて、漕艇同好会に行ってみました。これがボートとの出合いです。でも艇を持っていない同好会でした。鹿屋体育大学のような部活ではなかったです(笑)。

大学から始めたにもかかわらず、第47回国民体育大会(山梨)で漕艇競技山梨県代表として出場しました。

中村 いろいろな部を転々として、どれにもなじまず、大学からも足が遠のいていた頃の話です。運動生理学の第一人者で、日本女子体育大学に女子漕艇を導入した山川純教授(当時顧問)に「親のお金で入学してきて何勝手なことやっているの。ちゃんとボートをやりなさい」って、めちゃくちゃ怒られたんです。それと同じタイミングで、漕艇同好会の山梨出身の先輩と同期に、山梨県選手として活動できる人を探しているとのことで声をかけてもらったんです。スイッチが入ったのは、それからですね。毎週末山梨県の河口湖に通って、次第にうまく漕げるようになってきたら面白いかも? と思い始めたんです。そこからはボートの入門書や小説、漫画などありとあらゆるジャンルの本を読み始めて、運動生理学にも興味を覚え始めました。山梨国体に出場できて、成年女子舵手付フォアで第6位に入賞できたのは自分でも驚いたし、自信につながりました。何より艇速が出た時の恍惚感にはまってしまいました。

第20回全日本学生競漕選手権大会では、女子シングルスカルに出場されています。

中村 大学2年、3年は山梨チームとして精一杯やったので、最後の学年ではシングルをやりたいという気持ちが強くなったんです。さまざまな大学の漕艇場と合宿所が集まっている埼玉県の戸田公園に出向いて、頭を下げて艇を貸してくれる大学を探して歩きました。最終的に東京商船大学(現東京海洋大学)のOBの方が面倒を見てくださることになり、全日本学生競漕選手権大会で女子シングルス3位のメダルを取れたことは、私にとって印象に残る成功体験になりました。

大学院に進学したのは?

中村 ボートを本格的に始めた大学2年生のタイミングで運動生理学者の根本勇教授が日女体へいらして、この先生のお話が上手で面白かったんです。山川教授の勧めもあって、3年生からは根本先生のゼミ生になり、運動生理学に関する文献を調べることを覚えたらこれがまた楽しくて、やればやるほど競技の結果も出るし、競技はもちろん学術的にもはまってしまいました。山梨で自分がボートを実践できる環境をもらったことと、運動生理学の先生方に出会ったという2つの事が、人生のターニングポイントになったと思います。大学卒業後は実業団に行きたかったのですがうまくいかず、ボートもまだ続けたいという思いもあって大学院に進学しました。まったくもって不順ですが、修士課程の時が博士の時よりも、人生で一番勉強したと思います。もうげっそり痩せました(笑)。でもこのおかげで、その後母校で運動生理学研究室の助手、国立スポーツ科学センター(JISS)での研究員としての勤務を経て、本学に着任しました。  

昨年永年勤続者表彰を受けました。中村先生が感じている鹿屋体育大学の魅力は?

中村 SPORTECスポーツパフォーマンス研究センターやスポーツトレーニング教育研究センターなど、学生が自由に測定器具や機材を使えるのは本学ならではの魅力だと思います。機材の使用にこんなに自由度が高い大学は、あまりないのではないでしょうか。そして何と言っても学生数が少ないので、手厚く指導できるというのも利点だと思います。

学生に期待することは?

中村 とにかく勉強してほしいですね。一人ひとりのスポーツのスキルは高いので、自分の競技のことでも高齢者のことでも子どものことでも何でもいいので取り組みたいテーマを見つけて、知識を身に付けてほしいです。自分で考えて話すことができるようになってほしい。それは、思いと根拠に基づいた考えを伝える能力ではないかと。それができれば本来持っている才能がさらに光ると思います。

最後にカヌー部・漕艇部の顧問教員として、学生に期待することと今後の抱負を教えてください。

中村 「勝ちたい」は大事なモチベーションですが、それだけでなくそのスポーツを探求してほしい。ボート、カヌーの“オタク”であっていい。その“オタク知識”を使って自分自身で考える習慣を身に付け、創意工夫することでその先に結果が表れる。そこまでの課程は自分自身の心を豊かにしてくれる。負けて喪失感があっても、いずれ自分を認められる。その上で、学生には国内だけで満足することなく、もっと高い国際的レベルにチャレンジしてほしいと思います。高い理想ではありますが、私にとっての一番の目標は、どんな大会でもそれまでの過程を充実感で満たすために、選手を全力でサポートすること。その結果として、選手がオリンピックや世界選手権大会で入賞あるいはメダルを競えるレベルに到達し、その空間にいられたら幸せだと思います。    

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。