日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

鳥取県立鳥取中央育英高等学校  

保健体育科教諭

桑名 圭司さん

くわな・けいじ。昭和53(1978)年6月11日生まれ。鳥取県出身。鳥取県立倉吉西高等学校から平成9年4月、鹿屋体育大学へ入学。平成15年3月同大学院修士課程修了。母校の倉吉西高校で2年間講師を務めた後、鳥取県の教員採用試験に合格。鳥取緑風高等学校(定時制・通信制)を経て、鳥取県立鳥取中央育英高等学校保健体育科教諭、男子バレーボール部顧問。

鳥取県立鳥取中央育英高校を8年連続春高バレーに出場させ、鳥取県勢初の春高バレー初勝利へ導いた監督として、テレビ朝日の『激レアさんを連れてきた。』に出場した桑名圭司さん。代表作『名探偵コナン』で知られる漫画家・青山剛昌氏の母校だが、最寄り駅の通称コナン駅と呼ばれる由良駅に、その日の授業を終えた桑名監督が迎えにきてくださった。高校に到着するまでの短い時間に、気配りとやさしさとユーモア溢れる人柄に触れた。コートに立つと鬼監督に変わったが、時折見せる笑顔から深い愛情が垣間見える。自費購入したマイクロバスで試合に出向くといったエピソードから、人間としてのスケールの大きさも伝わってきた。学生時代の影響で、ビーチバレーを通した地域活性化にも力を注ぐ。初志貫徹。だれにも負けない情熱で、挑戦はこれからもつづく。

なぜ、鹿屋体育大学へ?

桑名 双子の兄がいて、2人同時に大学に進学するので学費が安い国立の体育系大学を探していたところ、鹿屋体育大学を見つけました。数学が苦手だったのですが、3科目受験がOKで“国立大学唯一の体育系単科大学”のキャッチフレーズと、“最も新しい国立大学”“男子バレーボール部九州1部”にひかれました。実は兄も、鳥取の県立高校で保健体育の教員と男子バレーボール部の監督をしています。

バレーボールを始めたきっかけは?

桑名 小・中学校では野球部に所属していたのですが、中学3年生の体育の授業でバレーボールの楽しさと魅力を知り、高校に入ったらバレーボール部に入ろうと決意しました。ところが、バレーは無名の進学校だったこともあり、毎年顧問が代わり、専門の指導者もいなかったので、練習試合や合宿、遠征もほぼ自分たちで組んでいました。大学卒業後は鳥取に戻り、頑張りたい生徒に頑張ることができる環境を作ってあげられる高校の体育の教員になりたい、バレー弱小県鳥取を変えたいという熱い想いでふるさとの教員になりました。

大学院に進学したのは?

桑名 当時の高校体育の採用試験はかなり狭き門でしたので、ストレートでは合格できなかったんです。生涯スポーツゼミの川西正志教授に「教員採用試験の1次にも受からんってことは、まだ鳥取に認めてもらっていないってこと。これからは院が当たり前の時代になるから、進んでみたらどうや」と言われました。当時は少しでも早く鳥取に帰りたいと思っていましたので葛藤もありましたが、結果的には修士課程に進んだおかげで採用試験に異例の速さで合格できたと思っています。

学生時代の思い出を教えてください。

桑名 一番忘れられないのは、バレーの練習後のアルバイトの帰りに当時大学近くにあった雑貨店『do-ing』の居眠り注意と書かれた電柱に、居眠り運転で衝突して生死をさまよう大事故を起こしたことです。奇跡的に一命をとりとめたのですが、このことがきっかけで性格も考え方も別人のように生まれ変わりました。今のチャレンジャー精神も、この出来事があったからだと思います。

念願叶って、高校バレーの監督になっていかがですか。

桑名 採用試験に合格してバレーボールの指導をガンガンやるぞ!と燃えていたのですが、初任校は定時制・通信制の高校でした。正直どこまでできるのか戸惑いがありましたが、とりあえずクラスの男子素人を集めて、男子バレーボール部を創設。その年の県定通総体ではさすがに2カ月の練習では勝てませんでしたが、部員は悔し涙を流して練習に奮起し、2年目に悲願の初優勝を果たして全国定通大会へ出場しました。中学校時代、不登校や怠学傾向にあった生徒たちと7年間で6回全国大会に出場し、バレーを通して熱い日々を送った生徒指導の経験が、今の私の原点です。

テレビ朝日系列の『激レアさんを連れてきた。』に出演したきっかけは?

桑名 2025年1月の春高バレーで鳥取県の高校男子としては53年ぶりの勝利を収めたその翌日の試合が、慶應義塾高等学校との対戦でした。フルセットの末に破れたのですが、この試合を見てくださった多くの方から感動と感謝の声が寄せられ、当時本校のキャプテンだった169㌢の「小さな巨人」の活躍が人気漫画の『ハイキュー!!』そのものだと話題になり、スポーツ紙、SNS等で取り上げていただきました。後日テレビ朝日から本校に出演依頼の連絡があり、一度は辞退したのですが、最終的に「育英高校の知名度UPと高校バレーボール界の発展の一助になれば」との思いで出演を決心しました。

番組内で、自費購入した900万円のマイクロバスのことが取り上げられました。

桑名 高校サッカー選手権で国見高校を6度の優勝に導いた、小嶺忠敏監督の「マイクロバス行脚」への憧れがありました。小嶺監督と同様に自腹で購入したことで覚悟ができ、そこから全国大会に出られるようになりました。

最後に後輩たちにメッセージをお願いします。

桑名 新しい大学の鹿屋体育大学は、柔軟性のある後輩思いのやさしい先輩ばかり。みんな母校のことが大好きです。我が鹿屋体育大学は永久に不滅です!

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。