日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

大磯タオル専務取締役

小坂 奨吾さん

こさか・しょうご。
昭和61(1986)年11月6日、神奈川県座間市生まれ。中高一貫の目黒学院出身。平成22(2010)年3月、鹿屋体育大学スポーツ総合課程卒業。FC今治U-12監督を経て、大磯タオル株式会社(愛媛県西条市)専務取締役。

笑顔から、人柄の良さが伝わってくる。小坂奨吾さんとの出会いは、1年前。日本が世界に誇るブランド・今治タオルにも差別化が必要と、東京の貸しスタジオで自社製品の撮影に立ち会う真摯な姿に感銘を受けた。TBS系の人気番組「王様のブランチ」で、今治タオル南青山店を訪れた近藤真彦さんが、手触りの良さに感動しておススメの店内イチ押し商品として紹介したのが、大磯タオルオリジナルのガーゼとパイルの組み合わせでできた“コスモカラー”だった。物静かだが、パッションはだれよりも熱い。サッカーに注いだ情熱をタオルに向け、創業65年の歴史を背負って奔走する日々を送る。

大学ではサッカー部に所属していたそうですが、始めたのは?

小坂 小学校の1年生です。生まれ育った神奈川県座間市は幼稚園でもサッカーが盛んなところで、小学校に入学した時に周りにサッカーをやっている人がたくさんいたので、友達の影響で始めました。中学は私立に行かせたいという両親の意向で、受験をして中高一貫の目黒学院に入学、家から2時間かけて東京・中目黒まで通いました。将来は数学の先生になりたいと思っていましたが、高校3年生の時に体育の先生にも憧れを持ち始めて方向転換しました。結局1浪することになり、スポーツ専門の予備校に入って、国立だと筑波か鹿屋しかないので、一人暮らしをしたいと思っていたこともあり、親元から離れている鹿屋に進学しました。

学生時代の思い出は?

小坂 “サッカー”に尽きますね。一般入試で受験したので、推薦入試で入った人たちが活躍しているサッカー部に入れてもらえるかどうかもわからず、入学したらまずサッカー部に見学に行きました。無事に入部できたあとは、部活とNIFSスポーツクラブの子どもたちにサッカーを教えるという生活がメインになりました。鹿屋って、良くも悪くもスポーツに集中できる環境にあって、結局その人のモチベーション次第っていうことになるんですよね。刺激がないという言い方をする人もいるかもしれませんが、私自身は鹿屋に行ってよかったと思っています。

卒後後に愛媛に行ったのは?

小坂 四国は野球がさかんな地域というイメージが強く、子どもたちにサッカーを教えるアカデミックな環境が整っていなかったので、学生時代にゼロからチームをつくり始めるという方と知り合って、その想いに共感して卒業と同時に愛媛に移住を決めました。保健体育の教員になるつもりでいたので、中学と高校の教員免許は取得しましたが、できればサッカーの指導者だけでやってみたいと思うようになっていました。

その後、FC今治U-12の監督に就任しました。なぜ大磯タオルに?

小坂 自分としてはサッカーの指導者として少しずつ日本を北上し、最終的には故郷の神奈川県に帰るつもりでいたのですが、結婚1年目に義父が社長を務めている大磯タオルで一緒に会社経営をしていた義父の弟が急逝してしまい、結婚3年目に監督を辞めて入社することになりました。自分では運命に引き込まれてタオル屋になった、とポジティブに捉え、これも縁だと思っています。「FC今治」運営会社の代表を務める岡田武史さんには、いつ戻ってくるんだ?と会うたびに言われます(笑)。

昨今、大磯タオルが独自で企画したタオル製品が増えています。

小坂 大磯タオルは、もともとお客様から依頼のあったライセンスブランド商品の国産タオル製造を請け負うのがメインの会社でした。レースや刺繍がついた付加価値のあるタオルハンカチをつくるのに日本ではコストがかかってしまうので、「良い製品を安く作ることがメーカーの使命」と中国にも工場を持っており、人材育成・技術革新・コスト削減に取り組んでいます。右も左もわからないところからのスタートでしたが、会社独自のオリジナルブランドはやはり必要と思い、入社後から少しずつ取り組んできました。製造業って、従業員の年齢層が比較的高いんですね。入社して7年が経ちましたが、経営に携わるようになって、会社を存続させるためには年齢構成も変えないといけないとか、いろいろ考えるようになりました。若い人が会社に入ってきても続かないといったことをよく耳にしますが、これからは人材の多様性を生かすためにどのようにしていくのかということを考えていかないといけなくて、その辺りはサッカーの指導と一緒だと感じています。

最後に後輩へのアドバイスとメッセージをお願いします。

小坂 大学生だった当時は、子どもたちにサッカーを教えることに一生懸命で、あまりにも子どもコミュニティーに特化した場所に身を置いてしまっていたと感じます。大学の先生方とももっと深く話しておけばよかったという後悔もありますし、経営学や経営戦略、財務、会計など、経営的視点や経営感覚を持つために若い頃からやれたことはまだたくさんあったように思います。今は情報社会で自分で調べようと思えば情報はいくらでも流れているので、他の大学のことを調べたり、高いレベルの優れた人たちから刺激を受けたりして人生の幅を広げてほしいと思います。あれだけの設備が整っているのも、国立大学ならでは。卒業後、可能性のある大学だという気が年々増してきています。ここ四国にも卒業生はたくさんいると思うので、鹿屋体育大学出身ということをもっと広めていけたらと思っています。

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。