長崎県立虹の原特別支援学校教諭
陸上競技知的障がい者日本代表コーチ
松尾 貴之さん

まつお・たかゆき。1975(昭和50)年8月30日、長崎県生まれ。長崎県立佐世保北高等学校出身。1994年4月、鹿屋体育大学へ入学。1998年3月卒業。現在長崎県立虹の原特別支援学校(大村市)教員。2017年から陸上競技知的障がい者日本代表コーチとなる。パリパラリンピック陸上コーチも務めた。
大学で学び研究したことを実践で生かし、選手たちを次々に世界の舞台でメダル獲得や入賞させている指導者がいる。2017年から日本代表コーチとしてパラリンピック知的障がいの部門で陸上競技中距離を指導している長崎県立虹の原特別支援学校(大村市)の松尾貴之教諭だ。
高校時代、将来は体育の教員になりたいと思っていた松尾さんが教育実習生としてやってきた鹿屋体育大学生と出会い、大学の存在を知ることになった。当時は、その大学で学んだことが将来自分を世界の舞台に導くことになろうとは思いもしなかった。
陸上競技の1500mを専門にしていた松尾さんは、九州インカレには出場できても、全国大会までは手が届かない選手だった。しかし、現在、指導しているのは、まさに世界を舞台に闘っている二人だ。神戸2024世界パラ陸上の知的障がい部門1500mで3位、パリパラリンピックで6位に入った十川裕次選手とパリパラリンピック5位に入った赤井大樹選手だ。二人はそれぞれ大分や奈良に住んでいるため、土日に長崎から彼らの元に通う指導生活を続けている。
松尾さんが指導の基本としているのは、学生時代に学んだバイオメカニクスの分析方法だ。学生時代の指導教官だった松尾彰文助教授(肩書は当時)は日本陸上競技連盟のバイオメカニクス班のメンバーで、五輪や世界選手権にも帯同していた。その研究室で、アトランタ五輪のデータなども参考にして、世界の一流選手と一般の学生とのスピード、ピッチやストライドの差などをデータ化し、何がどう違うのかを比較研究してきた。特に卒業後に、バイオメカニクス学会で足が接地している時と離れている時の時間の比率に関する論文を発表したことは、現在も、選手を指導する上でとても役立っているという。
松尾さんが指導する前は、選手たちは最初から全力で飛ばしていく戦法だった。しかし、今は違う。スピード曲線を作って、あなたの強みはここで、弱みはここですねと説明することで、トレーニングプランやレースプランを選手が自ら立てられるように仕向けている。自分が大学で学んだ知識をそのまま並べても、数字の羅列になってしまい、知的に障がいのある選手には理解が進まない。そこでグラフや視覚的にわかりやすい資料を作りながら、知的障がい者の教育に効果的であるという手法をミックスして説明していく。これまで知的障がいの陸上競技選手に対してバイオメカニクス的アプローチはほとんどなかっただけに、松尾さんの指導者としての存在意義は大きい。
800mや1500mの中距離は有酸素運動と無酸素運動の中間にあり、両方の練習をしなくてはいけないきつい種目だが、欧米では陸上競技の花と言ってもいいほど人気がある。選手を引き連れて初めて遠征した国際大会では、松尾さん自身が1500mの人気と応援に度肝を抜かれたそうだ。もちろん選手たちも日本とは全く違う状況に戸惑いながら、心ここにあらずといった状態だった。指導者の立場としては、こうした中でも冷静に自分のレースができるように選手を促す必要がある。
知的障がい者はIQが70未満と言われている。健常の選手だと、試合時のウォーミングアップ場や着替え室、招集場などがわからない場合に人に聞くという行為ができるが、そうはいかないのが彼らだ。会場に到着してから、一つひとつ丁寧に説明して理解させていく必要がある。さらに、人によっては、有名な選手と一緒だと興奮して集中できなかったり、反対に自分はだめだと委縮し、競技どころではなくなってしまうこともある。周りの環境に左右されやすい選手たちをいかに試合に集中させていくか。余計な興奮や不安を解消するために、松尾さんのきめ細やかで根気強い指導がものをいう時だ。
成果は徐々に出始め、今では、選手たちは自分の強み理解し、試合ではこんなレースをしたい、ライバルに勝つためにはこの作戦で行くと、理路整然と語れるように変わってきたという。
「レースに関してクレバーになって、自分を客観視できるようになってきた」と目を細める松尾さん。 障がいを持った人がスポーツをすることで人生をより豊かにすることができれば、松尾さんにとってこれほどうれしいことはない。