日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

株式会社プラミン 日本ボッチャ協会事務局長

南(現姓・三浦)裕子さん

みなみ・ひろこ(現姓・三浦)
1969(昭和44)年生まれ。九州産業大学付属高校出身。1987年4月、鹿屋体育大学体育学部体育・スポーツ課程入学。1991年3月に卒業し、同年デサント入社~2008年に退社。
2011年にスポーツマネジメント会社株式会社プラミンを設立。2015年より日本ボッチャ協会広報として参画。2017年より、同会の事務局長を務める。

子どもの頃はただひたすら速く泳ぎたいと思っていた。ジュニアオリンピックの個人メドレーで優勝し、国体の少年の部でもリレーで優勝し、日本代表にも一度だけ選ばれたことがある。しかし、いつも自分の前には壁のように立ちはだかる選手がいた。ある時ふと思う。自分はこの世界ではトップには行けないなと。自分にできることは何だろう。水泳+αが欲しい。そして、そのαを得ることによって、人生は面白いように転がって行った。

KSG九産大スイミングで育ってきた南裕子さんが創立4年目の鹿屋体育大学を選んだのは水泳に加えて何かが欲しいと思ったからだった。高校まで水泳漬けだったので、勉強もしたかった。新設の大学だけに目新しい研究や調査もあった。水泳部の指導者は田口信教監督と小笠原悦子コーチのパワフルな二人で、インカレに向けての雰囲気などは最高だったそうだ。日々のトレーニングの他に入浴剤の疲労回復度合いを調査する実験や、デサントの水着の抵抗を測定する調査など、メーカーからの調査依頼にも南さんは積極的に参加した。南さんの生まれ持ったコミュニケーション能力に加え、学生時代から外部の人たちと一緒にプロジェクトに参加してきたことによって、「人と繋がる力」は一層強化されていったようだ。

水着の抵抗調査が縁となり、南さんはスポーツウェア専門メーカーのデサントに入社し、アリーナブランド・トップアスリートのサポート担当をすることになる。男女雇用機会均等法ができて、企業でも女性を総合職で雇用する時代のまさに最先端を行く形でバリバリと仕事をしていった。

中でも後にアテネオリンピックの水泳800m自由形で金メダルをとる柴田亜衣さんの担当に就いたことは、その後の人生に大きな影響を与える。鹿屋体育大学の水泳部で当時柴田選手が割り振られていた仕事はウェア係。奇しくも南さんと同じ係だった。手紙の書き方なども教えるなど、妹のように面倒を見ながら、柴田さんがぐんぐんと記録を更新し成長していくのを傍でしっかりと見つめていた。これが縁で柴田さんもデサントに入社することになる。

入社してから18年目。オリンピックも北京で4度目となり、やり残したことはないと感じた南さんは退社を決意。さまざまなボランティア活動などでスポーツ現場を歩くうちに、その企画力に目を付けた人たちから次々に声がかかる。

「引退後のプロ野球選手が野球教室をやりたいって言っているんだけど、力を貸してくれない?」。さらには柴田亜衣さんからも「水泳教室をやりたいんだけれどどうしたらいいんでしょう」と問い合わせがきた。ここで南さんは一念発起。アスリートは引退後に社会に出ると自分の価値をアウトプットするのが苦手だと常々感じてきた南さんは、スポーツマネージメント会社を興し、彼ら彼女たちのサポートをすることを決意。2011年のことだった。

その3年後、さらに転機が訪れる。ブエノスアイレスのIOC総会で東京オリ・パラ開催が決まると、パラリンピックの認知度を上げ、機運を醸成するための仕事が舞い込んでくる。ボッチャの体験会の企画を担当するうちに、ボッチャ協会の広報を依頼され、いつしか事務局長をやることになったのだ。パラリンピックの仕事を手伝ううちに、南さんのスポーツに対する考え方も大きく変わってきた。

世界のトップの座を競う競技とは違って、障がい者スポーツにはまた他の意味が含まれている。障がいを持つがゆえに社会との接触を嫌ったり、引きこもりになる人も少なくない。もっと言えば、日本には障がい者とかかわりを持ちたくないという人がいるのも現状だ。しかし、誰もが一緒にできるボッチャのようなスポーツを通して、仲間を作ったり、社会参加や相互理解の機会を得ることも可能なのだ。東京オリ・パラのテーマの一つはダイバーシティーとインクルージョンだったが、まさにそのレガシーを継いでいくことを南さんは仕事とした。そして、スポーツをより深く考える意味でも、鹿屋体育大学でもパラリンピック教育をしっかりやってほしいとリクエストする。

「私がこの仕事をやる意味を考えると、人脈は最大限に使うべきなんですよね」
自らが持つ力を客観的に分析しながら、南さんはより多くの人が幸せになれる社会を目指して、ボッチャというスポーツで、地域から小さな変革を起こしていこうとしている。自らの会社とボッチャの事務局長の両輪で目が回りそうだと話す表情からは、充実感があふれ出ていた。

(スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋 泰子)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。