日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

日本バレーボール協会業務執行理事

内藤 拓也さん

ないとう・たくや。1968年6月2日生まれ、東京都出身。東京都立上野高等学校から、鹿屋体育大学体育・スポーツ課程に5期生として入学。平成4年3月卒業。元笹川スポーツ財団職員。北コロラド大学大学院卒業。元USAバレーボール協会職員、元東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会職員、元日本バレーボールリーグ機構事業企画部長。現在、日本バレーボール協会業務執行理事

オリンピックに携わる仕事をしてみたいという夢に向かって階段を一歩一歩登り、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会で会場統括責任者としてその夢を実現させた男は、今、古巣のバレーボール界でその力を発揮しようとしている。内藤拓也さん、鹿屋体育大学5期生だ。

今やバレーボールは世界各国が強化に力を入れ、大会招致にも大金を使って競い合う時代だ。かつて松平康隆会長の頃には主要大会はすべて日本で行うこともあったが、もはや過去のこと。日本にとっては試練ともいえるこの時期に、日本バレーボール協会の業務執行理事として大会運営事業の責任者を務める内藤拓也さんの役割は重要だ。国際大会を招致する交渉から大会運営までその責任を一手に引き受ける。

内藤さんは西郷さんの銅像で有名な上野恩賜公園の中にある都立上野高校出身。身長168センチの小兵ながら高校時代から懸命にバレーボールに取り組み、筑波大学出身の顧問から「小柄ながらここまでやれるんだから大学も体育大学に進んでも大丈夫」と背中を押され、鹿屋体育大学への進学を決意した。

バレーボール選手としては全九州大学リーグ準優勝を経験し、全日本インカレにも出場した。両親ともに教員であり、将来は教員にと鹿屋体育大学を選んだのだが、大学で体育経営管理学、今でいうスポーツマネージメントのゼミで学んだことから徐々に思いは変わっていく。卒業後は笹川スポーツ財団に就職、さらに三菱総合研究所に出向し、日本のスポーツ行政や競技団体の実情、さらには海外の事例などに触れる機会を持つことになる。なぜ欧米ではスポーツが公的資金に頼ることなく、社会の中で自然に受け入れられ、生活の一部となっているのか、それを知りたいと強く思うようになる。さらにはオリンピックに携わる仕事をしたいという思いもあり、ついに、2006年に米国留学を決意した。40歳を前にしての一大決心だった。

実は米国留学への憧れは鹿屋体育大学在籍中からあった。ゼミの指導担当であった池田勝教授はイリノイ大学でレジャーレクリエーションを研究されていたこともあり、米国がいかに進んでいるかをよく話してくれていた。またミシガン州立大学で学ばれた菊池秀夫先生からも米国スポーツの新しい観点を聞いていた。その頃から、いつかはスポーツビジネスの本場で学んでみたいという夢を抱いていたのだ。
調べに調べた結果、北コロラド大学スポーツアドミニストレーション(経営学)のマスター(修士)プログラムを選ぶ。その理由はオリンピックスポーツマーケティングを専門にしている教授がいたからだった。英語では苦労はしたものの、14年間の社会人生活を経たことで、高いモチベーションを持って学ぶことができたという。朝7時から夜中の12時まで開いている図書館で本を貪るように読み、さらに授業では書物では得られない最新の情報を基にしたディスカッションを行うなど、人生の第二のスタートの基礎をしっかり作ることができたのだ。

その後、米国オリンピック委員会でのインターンシップを経て、米国バレーボール協会で仕事をしたいと積極的にディレクターやスタッフと親交を重ね、ついに「手伝ってほしい」と声をかけてもらうことに。しかし、行ってみるとそれはマスコットのイーグルサムの中に入って観客を盛り立てる仕事だった。しょげてはいられない。その夜、当時米国バレーボール協会の最高責任者ダグ・ビールに挨拶する機会を得て、それが縁となり、人生はまた大きな一歩を踏み出すこととなる。実は読んでくれるかどうかもわからない手紙をダグに数回送っていたこともあり、この時、ダグからUSAバレーボールの資料室整理の仕事を頼まれたのだ。時給は1000円強の当時の州最低賃金。ここでの仕事が認められ正社員となり、ついには国際イベントチームのメンバーとしてトーナメントディレクターを任されるようになった。

その後、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に面接を経て就職。競技運営から会場運営と幅広く仕事をこなし、2021年本番では伊豆で行われた自転車競技全般の統括責任者を務めることに。まさに長い夢だったオリンピックを支える仕事をやり切ったのだ。
自分がその時々に置かれた状況の中で、やりたい仕事、なりたいものに目標を定め、地道に行動し信頼を得て、手中にしていく手腕はお見事の一言。粘りと努力、そして人柄の良さで信頼を得ていくプロセスと手腕は、日本バレーボール協会でもいかんなく発揮されていくことだろう。しばし注目したい。

(スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋泰子)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。