日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

株式会社WithYou代表取締役

中村 亮さん

なかむら・りょう。1981(昭和56)年8月13日、兵庫県神戸市生まれ。滝川第二高校から鹿屋体育大学体育学部体育・スポーツ課程に進学。2004年3月卒業。同年、Jリーグ・FC東京に入団。2005年シーズン終了後に引退。中学校教員、モデルなどの芸能活動を経て渡米。現在、スポーツ留学をサポートする株式会社WithYou 代表取締役。

卒業生をインタビューしていると、今のスポーツ界の現状がとてもよくわかることがある。今回もそんな最前線で活躍するOBを紹介する。

43歳になる中村亮さんは一年の半分は日本にいない。米国のニューヨークとロスに事務所を構え、高校生をスポーツ推薦で米国の大学に入学させている。この仕事を始めた時、日本には同業者は全くいなかった。彼の発案で始めたビジネスモデルだった。

中村亮と聞いて、アッと思いだした人もいるだろう。神戸の滝川第二高校から鹿屋体育大学に進み、卒業後はFC東京に入ったJリーガーだ。自分では遅咲きの選手で、鹿屋体育大学で育ててもらったという。185㌢の長身、利き足は左、抜群の身体能力とスピードが持ち味で、当時のサッカー部の井上尚武監督は1年生の時からレギュラーで使った。大学屈指のサイドバックとして注目を集め、4年生の時にはユニバーシアード日本代表にもなっている。教員だった両親の背中を見て育ったことで、教師になるのが当たり前と思いながらも、心の片隅でプロになりたいという夢を抱きながらの大学生活だった。

JリーグのFC東京からオファーを受け、晴れてプロ選手となるが、入団2カ月後に右ひざの大怪我をする。膝のすべての靭帯が切れて逆方向に90度以上曲がり、足が前腿のところまでくるほどの怪我だった。ただひたすら続くリハビリ、プロとして役に立っていないという焦り、活躍するイメージが全く持てないまま、2年目にプロと決別する決断をする。

助けてくれたのは、同じ滝川第二高校、鹿屋体育大学、そしてJリーガーとなった重野弘三郎さんだった。10歳先輩の重野さんはプロ引退後、鹿屋の大学院でアスリートのセカンドキャリアを研究した後、Jリーグの事務局でキャリアサポートの仕事をしていた。紹介されたのは横浜にある中学校の職だった。プロ生活が悶々と悩みながらだったせいもあるが、それはとても充実した楽しい時間だった。ただ、プロ選手として世の中を知ってしまった中村さんには、若い世代の夢を支えるために、何か違う形で若者と関わる方法があるのではないかという思いがついて回り、結局、教員は1年でやめることになった。

神戸在住で14歳の時に阪神淡路大震災を経験し、いつ何が起こるかわからない人生で、夢を追いかけることの大切さを心底感じていたのかもしれない。さらに、中学時代に1年間、ブラジルのジーコサッカースクールに留学したのも影響していたのだろう。海外に行くことには抵抗はなかった。一念発起し28歳で渡米を決意する。

語学学校では英語は習得しきれないと判断してロサンゼルスの大学に入学。サッカー部の友人ができたことから驚きの発見をすることになる。選手たちの恵まれた待遇や授業サポートの充実ぶりは日本の比ではない。NCAAのスポーツがいかに日本と異なるものかを知るのだ。そこでひらめいたのが新しいビジネスだった。

サッカーをしてきた高校生をスポーツ推薦で米国の大学に斡旋するという仕事だ。2013年にニューヨークでWithYouという法人を立ち上げ、最初は一般の留学のサポートをしながら、アメリカ中を縦断横断して大学を訪ね、どんな選手が欲しいのかを聞いて回った。そして、その大学に最も合う選手を送り込むようになったのが2016年からのことだ。ベストフィットの選手をスポーツ推薦で入学させることで大学からの信頼も得られ、今年は150名を入学させている。

中村さんが常々口にすることは、スポーツだけじゃダメと言う言葉だ。最近は留学を希望する若者にも変化が出てきて、スポーツと勉強を両立させて卒業したいという希望者が増えてきている。

中村さんが世話をするのは入学だけではない。卒業後、米国でドラフトのオファーをうけプロになる選手もいれば、欧州や南米でプロを目指すものもいる。その国に強い代理人を紹介し、彼らが進む道の地ならしをしていく。もちろん、プロを目指さない者には一般の企業への斡旋も行う。最近は女子の留学も増え、男子7割、女子3割ほどになっているそうだ。女子は米国の大学で活躍できる可能性が高いので、大学側からのリクエストも多いと聞く。

若者が夢を追いかけることを応援する、それを自らのミッションとして新規ビジネスに挑んでいる中村さんと話をしながら、ふと思い出した。パリオリンピックに出場した選手の中にも、日本の大学を選ばずに米国留学を決めた者がいた。まさに今スポーツ界に吹き荒れているトレンドのど真ん中で中村さんは仕事をしているのだ。

(スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋泰子)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。