日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

女子バレーボールアナリスト ミズノ株式会社

新村 薫さん

しんむら・かおる。1984(昭和59)年1月5日、鹿児島県生まれ。鹿児島県立指宿高等学校から、鹿屋体育大学体育・スポーツ課程に進学。2006年3月、卒業。久光製薬スプリングスアナリスト、女子日本代表アナリスト等を経て、2017年からミズノ株式会社所属。

バレーボール女子日本代表中田久美監督の右腕といわれたのがアナリストの新村薫さんだ。久光製薬バレー部の快進撃を支え、中田監督とは9年間苦楽を共にしてきた。

「私、もともと運動が得意ではないんです」。こう切り出されて一瞬我が耳を疑った。聞けば鹿屋体育大学の入試実技試験ではバレーボールのジャンプサーブでしりもちをつき、メディシンボール投げではおでこを床にぶつけたという。それでも入学できたのはセンター試験の成績が良かったからだろうと新村さんは笑う。大学では実技を10単位取らなくてはいけないが、縄跳びの二重跳びもうまくできず、さらには鉄棒の逆上がりもできず、夏休みの補習を受けてようやくできるようになったそうだ。運動が苦手だったにも関わらずなぜ体育大学だったのか。

出身は同じ鹿児島の指宿高校。文化祭が終わり、それまで所属していた合唱部の活動が一段落したので、友だちが所属するバレーボール部を覗いてみた。それは衝撃だった。次々に投げられるボールに必死にくらいついていく友人の姿。その一生懸命さに圧倒された。

「自分が肉まんを食べているときに、友だちはこんなことをしている」。若き日の雷に打たれたような衝撃は情熱となって人を行動へと突き動かす。

新村さんはすぐに入部を決意。しかし壁パスは10回もできない。バレー部で練習をするようになって芽生えてきたのは選手を支えるスタッフの仕事がしてみたいという思いだった。顧問の教諭がスポーツを支える仕事があることを教えてくれたことがきっかけとなって、鹿屋体育大学を受験することになる。それも周囲の人には青天の霹靂だったようだ。

鹿屋体育大学のバレー部は強豪だ。練習ではチームの脚を引っ張ることが多く、すぐコートの外に出されてしまう。2年生の時に見るに見かねてか濱田幸二監督が「こういう役割もあるぞ」と厚さ3センチほどもある英語の本を手渡してくれた。それは当時発売されたばかりのPC版アナリスト用ソフトのマニュアルだった。それまでも部のホームページ作りなどPC周りの仕事を一手に引き受けていたこともあり、PCを使うことには抵抗はなかった。分厚い辞書のようなマニュアルを移動時間も辞書と首っ引きで読み始めた。PCを片手に打ち込みながら、エラーで画面が真っ赤になる部分が少しずつ少なくなっていくのが快感になっていく。大学の学外実習でもそのソフトの代理店に一週間通い、これを仕事にしたいと心から思うようになる。こうして女子バレーボールアナリストは独学で技術を習得していく。

2006年大学を卒業して6月から久光製薬に就職する。当時はアナリストという職種がそれほど知られていなかったこともあり、サブマネージャー兼務としての採用だった。当時のバレー部の監督は後に日本代表監督となる眞鍋政義さん。新村さんは練習や試合を見ながら、ボールに触れた選手全てのアクションをただひたすら打ち込んでいった。iPadを片手に試合で指示を出す眞鍋監督のデータバレーを久光製薬時代に支えたのが新村さんだったのだ。

眞鍋監督が日本代表監督となった時には残念ながら新村さんは呼ばれず、それを機に彼女はアゼルバイジャンのナンバーワンチームで武者修行を重ねることに。2012年中田久美監督が久光製薬に着任すると同時に呼び戻され、Vリーグでの久光製薬の大活躍を支える。その力量が認められ、中田さんが日本代表監督となると同時にアナリストとして日本代表チームに呼ばれることになる。スポーツは今や情報戦だ。選手と監督だけでは勝てない。世界の9割が同じソフトを使って同じようなデータを収集しているだけに、いかにデータを分析してどう利用していくかが大切になる。新村さんはやるべきことはすべてやってきたと言う。

しかし、振り返るとコロナ禍によるオリンピックの1年延期の影響をもろに受けたのは女子バレーボールだったかもしれない。故障やベテラン選手の引退など計算外のことが起きて不運としか言いようがないほどの状況となった。東京オリンピックは一次リーグ敗退に終わった。

結果はついてはこなかったが、悔いはない。高校時代に出合った衝撃、大学で渡された一冊の本、そして独学から実業団へ、さらに日本代表のアナリストへ。異色の鹿屋体育大卒業生は一生懸命の情熱を握りしめながら東京オリンピックまでの道を駆け抜けてきた。

中田監督の右腕といわれた新村さん

(スポーツ文化ジャーナリスト 宮嶋 泰子)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。