とりさし梅松代表
鳥越 貴志さん

とりごえ・たかし。昭和63(1988)年9月6日生まれ。大阪府堺市出身。大阪府立登美丘高等学校から、鹿屋体育大学武道課程に進学。平成23年3月卒業。大阪刑務所に刑務官として11年間勤務後、退職。令和4年8月、堺市駅からすぐのベルマージュ堺1階に「とりさし梅松」、令和5年5月、同じく堺市駅近くに「おすわり梅松」をオープン。天満店、堺東店、十三店、天満ウラ店と次々に店舗を拡大し、成功させている。会員制「ステーキハウスぷりずん」の経営にも参画している。
名刺には鳥刺しと出合ったのが運命、とばかりに「トリサシタカシ」と記されていた。定休日に堺市の店舗でのインタビュー。遠くから来てもらったので、と店長に無理を言ってお店を開けてもらい、取材後はお店の看板メニューの数々でもてなしていただいた。人との繋がりを大切にする義理人情とホスピタリティー、関西人らしい笑いのセンスの良さがうまくマッチングして、独特の“鳥越ワールド”を築き上げている。国家公務員から実業家への転身。「現場に立っているときが一番幸せ。休日に出かける優雅な食事よりも、仕事が終わって食べる1杯のラーメンが美味しい」と笑う。鹿児島の食文化を全国、そして世界へ。だれにも負けない熱い想いとチャレンジ精神は、周りのスタッフや訪れる客を笑顔へと導いている。
学生時代は柔道部に所属していたそうですが、柔道はいつから始めたのですか。
鳥越 父が大阪刑務所の刑務官をしていたので、そこの柔道クラブで小学4~6年の3年間習っていました。中学では軟式野球部、高校では硬式野球部に入ったのですが、強豪校だったのでついていけなくて3カ月で辞めてしまいました。でも体力だけはあったので、柔道の授業でクラスメートをボンボン投げていたら、先生に柔道部にスカウトされてあっという間に大阪で第一シードに名前を連ねるトップ選手になりました。
鹿屋体育大学に進学したのは?。
鳥越 恵まれた環境で柔道を続けたら、もっと強くなれるんじゃないかと思ったからです。柔道の先生の弟さんが鹿屋体育大学の柔道部の出身で先生に勧められたのと、父が鹿屋の出身で、小さい頃から鹿屋体育大学に行けよ~って刷り込まれていました(笑)。
実際に入学してみていかがでしたか。
鳥越 両親と二人の姉に甘やかされて育ったので、すぐにホームシックになりました。全国各地から優秀な選手が集まっているので、柔道も1番強かったのに、いきなり1番弱くなってしまって毎日が辛かったですね。強くなりたくて図書館に行って柔道関連のビデオを観たり、専門書を読んだりしていました。結局3年生の時にけがをしてしまって柔道では大成できませんでしたが、温泉に行ったり、美味しいご飯を食べに行ったり、鹿屋での楽しかった思い出はたくさんあります。
卒業後はお父様と同じ刑務官の道に進んだそうですね。
鳥越 もともと飽きっぽい性格もあり、毎日同じことの繰り返しの日々が耐えられなくなってきて、辞めたいと思うようになりました。今思えばダメ刑務官だったと思います。USJを再建させた日本を代表するマーケター森岡毅氏の著書『苦しかったときの話をしようか』(ダイヤモンド社)を読んで、「リスクを取ることが成長につながる」「人には向き不向きがあるからそれを見極めなさい」といった言葉に背中を押してもらって、退職を決めました。自分が輝ける場所はきっとほかにあって、自ら動いて探していこうと思いました。
鳥刺し屋を始めようと思ったのは?
鳥越 父が退職して鹿屋に帰ったので、大学3年生から実家暮らしになったんです。実家の近くに「鶏屋ひらはら」というお店があって、牛肉は学生には高くて買えないけれど、鶏は買えるんですよ。学生だからと買いに行くたびにおまけをしてもらっていたのですが、自分が経営者になってみて薄利多売の商売なのにと驚かされます。学生の頃から冗談で「大阪支店をやらせてください」と言っていたので、頭の片隅にずっとあったのだと思います。
飛ぶ鳥を落とす勢いで店舗が増えていっています。失敗や挫折はあったのでしょうか。
鳥越 フライドチキンのお店を1つ潰してしまった経験があります。スタッフは忙しいのに1個売って100円も利益が出ない世界で、29日間で閉めました。鳥刺しの店がうまくいったのは、私がすごかったわけではなくて単に鳥刺しという着眼点がよかったんだということに気づかされました。高い勉強代だったと思っています。
今年1月に『和牛ステーキハウスぷりずん』もオープンしました。
鳥越 宮崎県の富永和牛と出合って、そこのオーナーが稲盛和夫氏の盛和塾の出身で、稲盛さんは自分にとって経営の神様的存在だったので、意気投合して一緒にビジネスをしたいと思うようになりました。さらに焼き鳥業界で初めて会員制を取り入れた「熊の焼鳥」の熊脇稔康社長との出会いもあり、熊脇社長の同級生で北野工務店の北野将之社長の3人で共同経営しています。厚利少売の世界への憧れもありました。
今後の夢は?
鳥越 東京進出を果たしたいです。そして、文句も言わずについてきてくれているスタッフの待遇をよくしたいと思っています。鳥越という姓に生まれて、鳥刺しを広めるのが私の人生の役目。Mr.チキンと呼ばれています(笑)。
最後に後輩たちにメッセージをお願いします。
鳥越 とにかく本を読んでほしいです。私の場合はビジネス書や自己啓発の本を読むことが多いのですが、執筆者の成功事例が詰まった1冊が1000円ぐらいで手に入り、1日で読んだらその人の人生を1回生きたことになる。こんなコスパのいい投資はないと思っています。
※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。