日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

アシックス・プレイシュア株式会社代表取締役社長

山本 義広さん

やまもと・よしひろ。1967年4月9日、宮崎県生まれ。宮崎県立日向高等学校から、鹿屋体育大学体育・スポーツ課程に進学。学生時代はラグビー部のバイスキャプテン、「体育経営管理学ゼミ」のゼミ長を務めた。1990年3月に卒業し、スポーツ用品メーカーの株式会社アシックスに入社。2021年11月、ランナー向け保険の開発、提供など保険代理店業務を行うアシックス100%子会社アシックス・プレイシュア株式会社が設立され、2022年9月に代表取締役社長に就任。

“彼はジェントルマン”。そう教えてくれたある卒業生の言葉通り、物腰がやわらかくて感じが良く、スポーツマンらしい誠実さが全身から伝わってきた。2021年に設立されたアシックスグループの新会社、アシックス・プレイシュア株式会社社長に就任した3期生の山本義広さん。人との繋がり、ご縁をずっと大事にして、周りからも信頼されてきたのだと思う。何もないところから先輩や後輩たちと一緒に創り上げた鹿屋体育大学での日々は、自分のルーツだと振り返る。ラグビーで培った精神と、アシックス創業者の「ころんだら、起きればよい」の言葉を糧に、トップとしての責任と覚悟を胸に秘め、これからも全力疾走するのだろう。

鹿屋体育大学に進学したのは?

山本 高校時代のラグビーの恩師と体育の先生の勧めです。その頃は高校の体育の先生になりたいと思っていたので、地元宮崎の教員になるのであれば九州の大学がいいし、1期生に松任谷由実の名曲「ノーサイド」のモデルになった、1984年1月の全国高校ラグビー大会の決勝大会に出場した大分舞鶴高校キャプテンの福浦孝二さんがいて、ラグビーを続けることにも期待が持てたこと。国立であり、実家に近いけれど親元を離れられ、そして何といっても新しい大学なので、これから未来を創っていけるということに大きな魅力を感じました。

就職先にスポーツ用品メーカーのアシックスを選んだのは?

山本 大学3年生の時に社会体育実習があり、ゼミの先生の紹介でアスレチックトレーナーの実務研究のため、NEC男女バレーボール部で1カ月ほど過ごしました。そこには日本最初のアスレチックトレーナーでNEC専属の岩﨑由純さんがいらして、スポーツの世界にはこういった職業もあることを知り、自分も日本のトップチームに寄り添うような仕事をしたいと思うようになりました。宮崎国体が終わって10年間は体育の教員採用なしと言われている時代と重なったこともあり、一般企業という新たな選択肢が出てきたという感じでした。教育実習で訪れた鹿屋の中学校の担当教員が脱サラした先生で、「一度社会に出て、人生を経験した上でそれから教員っていう道もある。山本君にはそっちの方が合っているのでは?」と、背中を押してもらったこともあったと思います。アシックスは当時これから業界トップに躍り出る可能性のある会社でしたので、最初からナンバーワン企業よりやりがいもあって面白いと感じました。

入社以降、どんな仕事を手掛けていらしたのですか?

山本 一貫してスポーツマーケティングです。各競技団体のトップチームや選手に我々の商品を使ってもらい、アシックスファンを広げていくための仕事をしていました。我々のブランドが選手に寄り添っているシーンを多く創っていくのが主な仕事で、2022年の東京オリンピック・パラリンピックまで携わっておりました。

アシックス創業者の鬼塚喜八郎氏が、「裸足の王者」と言われたエチオピアのマラソン走者アベベ・ビキラに自分の会社の靴を履かせようと尽力したエピソードが残っています。創業者の想いはずっと引き継がれているのですね。

山本 現場に行って選手の意見を聞いて、ものをつくって、失敗してはやり直して何回もチャレンジするという創業者の「七転び八起き」の精神を、社員は会社としての言葉ではないのですが“鬼塚イズム”や“アシックススピリッツ”と呼び、今日に受け継いでいます。時代に合わせて少しずつ変えたりアレンジしたりしながらも、変わらぬ本質をずっと引き継いでいると思います。

アシックス・プレイシュアの社長に就任して1年が過ぎました。

山本 スポーツブランドのアシックスが手掛ける保険なので、アクティブに受け止めてもらえるような保険事業をやっていきたいと考えています。アシックスの基幹事業はランニングなので、たとえばランナーがケガをしたときにサポートできるような傷害保険など、しっかりと治してスポーツができる身体に戻してあげるところにスポーツブランドとしての保険の価値が出てくると思っています。社会復帰までの橋渡し的存在でありたいですね。

最後に後輩たちへのメッセージをお願いします。

山本 創業者の鬼塚喜八郎は、毎年新入社員に古代から近代へと受け継がれた「スポーツマン精神の5か条」の話をしていました。鬼塚はこれに「スポーツマンは、ころんだら、起きればよい。失敗しても成功するまでやればよい」という独自の言葉を付け加え、これらはスポーツマン精神の6か条として社員に受け継がれています。実行力がないと夢はかなわないし、失敗を繰り返さないと成長はない。まずは失敗を恐れず、実行していただきたいと思います。私自身もラグビーのように倒れても起き上がり、壁にぶつかっても前に進み、逃げない。そうすれば、夢はきっとかなうと信じています。

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。