日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

北九州市国際スポーツ大会推進室次長

山根 英明さん

山根さんの写真

やまね・ひであき。昭和44(1969)年1月26日生まれ。福岡県北九州市出身。福岡県立小倉西高等学校から鹿屋体育大学に進学、平成3年3月卒業。民間企業勤務を経て、平成7年、北九州市入職。平成23年から27年まで市民文化スポーツ局スポーツ振興課及び総務企画局市制50周年記念事業推進室に北九州マラソン担当係長として就任し、平成26年2月に北九州マラソン第1回大会を実現させた。

「北九州マラソンの生みの親」――そう呼ばれるのは、4期生の山根英明さんだ。小倉城、門司港など北九州市の名所を1万人超のランナーが駆け抜ける大会は、今年節目の10回目を迎えた。エイドステーションには名物「小倉牛」も並び、全国的評価も高い。「いいとこどりなんです!」とはにかんだ笑顔を見せるが、その背景には全国のいくつものマラソン大会にランナーとして走り、視察した、血と汗と涙の結晶の秘話が隠されている。令和元年10月には本学陸上競技場で開催された「みんなのタイムトライアル2019」にも参加、自身が手に入れた賞品を辞退して陸上競技部にプレゼントし、筆者の中では“卒業生の鑑”として記憶に残っていたひとでもある。今年も日本初のブレイキンのワールドシリーズをはじめ、多くのスポーツイベントを手掛けた。生まれ育った街をもっと楽しくするために、行政マンの枠を超えた山根さんの挑戦は終わらない。

鹿屋体育大学に進学したのは?

山根 高校の体育の先生になりたかったからです。でも地元福岡県では平成2年に第45回国民体育大会(とびうめ国体)があり、その前に体育の教員をたくさん採用するので、ひょっとしたら平成3年度はあまり採用がないかもしれないという不安がありました。それで福岡教育大学にも合格していたのですが、一般企業にも就職しやすいであろう鹿屋体育大学の方を選びました。

北九州市役所には中途採用で入られたのですね。

山根 大学卒業後は日立系のソフトウエアの会社に入ったのですが、2~3年したら九州支社に戻ってこられるということで入社を決めたんです。ところが平成5年ぐらいにバブルがはじけてしまって、地方には管理部門は置かなくなるというので、東京で受験できた市役所の中途採用試験をとりあえず受けてみようと思ったんです。公務員試験の勉強なんてしたことなかったのに、運だけで合格できたんですよ(笑)。

北九州マラソンを始めたいと思ったきっかけは、鹿児島県の「いぶすき菜の花マラソン」に平成21年に参加したことだったとか。

山根 中学・高校・大学と陸上をしていたので、40歳になるときにどこかのマラソン大会に参加して走ってみたいと思って、そのときに選んだのがいぶすきだったんです。学生時代に所属していた野川ゼミで、菜の花マラソンの現場に行ってアンケートを取り、大会の分析をしていたので存在は知っていました。実際に参加してみたら、幼い子どもからお年寄りまで沿道で一生懸命応援してくれて、人のぬくもりを感じるとてもいい大会だったので、そのとき「北九州でもこんな大会ができたらいいな」って思ったんです。タイミングよく市制50周年記念事業に向けたアイデアの公募があって、マラソン大会の企画書をつくって応募したところ、アイデア賞に選ばれました。その後、マラソンが本当にできるかどうかを検討する担当係長の公募に手を挙げて就任しました。

実現するまでには壁がたくさんあったとか。

山根 1番大変だったのは警察との協議と陸上競技協会との調整で、毎週日曜日は陸上競技場の本部に顔を出して話をしていましたね。民間会社が作成したコース案を持って警察に相談に行ったところむちゃくちゃ怒られまして、1からコースをつくることになり、当時は部下もいなかったので真夏の暑い中2カ月間、日によっては50㌔以上デジカメ片手に道幅や高低差を確認しながらママチャリで市内を走り回りました。また、全国で開催しているマラソン大会に実際にランナーとして走ったり、視察したりして研究も重ねました。

そこまでしたのは、使命感?

山根 そんなカッコいいもんでもないですけど、ただやりたいなって思ったんですよね。マラソンで北九州がひとつになれたらいいなあって。

初回の大会を無事に終えて、帰宅してから見たSNSに涙が止まらなかったとか。

山根 感謝の書き込みがたくさん書かれていて、それを目にした時の感覚は役所人生の中でもう2度と体験することができないと思います。やってよかったと思いましたね。

ところで、山根さんにとって母校鹿屋はどんな存在ですか?

山根 若い頃に比べて、今の方が大学に対する思い入れも強くなったと感じています。現役の学生がスポーツで活躍しているシーンとかを新聞で見ると、やはりうれしいですね。コロナで福岡県人会も中止していたのですが、徐々に再開できるのではと思っています。

後輩にメッセージを。

山根 とにかくいろんなことを経験してほしいし、人とのつながりや出会いを大事にしてほしいです。のちに必ず仕事にも生きてくると思います。

最後に、今後の夢を教えてください。

山根 夢というほどのものはありませんが、現在、仕事もですが、週に一度NPOの陸上チームのお手伝いをし、「スポーツ」に関わっています。これからも何らかの形でスポーツにかかわっていけたらと思っています。

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。