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国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

パリ五輪体操金・本学修了生杉野選手が講演 鹿屋体育大学広報アンバサダー第1号に就任

2024/12/17

「懐かしい~。やっぱり居心地がいいですね」。令和6年12月13日、パリ五輪体操男子団体金メダリストの杉野正尭選手(徳洲会体操クラブ)が今年1月末の修士論文発表以来久しぶりに母校を訪ねて最初に向かったのは、在学中だれよりも練習を重ねた体育館の体操練習室でした。駆けつけた報道陣の前で得意な鉄棒やあん馬などダイナミックな演技を披露し、合間には後輩たちと気さくに談笑する姿も見られました。

公益財団法人スポーツ安全協会のスポーツ活動等普及助成事業の支援を受けて「鹿屋体育大学学生のためのトップアスリート人材育成支援事業」の一環として開催した、競技力向上セミナーの講師としての来学。杉野選手は講演前に、共にオリンピックを目指した元本学教員で日本体操協会男子強化本部長の村田憲亮氏とともに学長室を訪れ、金久博昭学長にパリ五輪での金メダル獲得を報告しました。その後、場所を会議室に移し、鹿屋体育大学の魅力を広く国内外に発信してもらうことを目的にした「広報アンバサダー第1号」に就任した杉野選手へ、金久学長から委嘱状が贈られました。管理棟1階の正面玄関からセミナー会場の水野講堂までは、教職員が列をつくって杉野選手と村田氏を出迎え、「お帰りなさい」「おめでとう」と声をかけ、拍手に包まれました。

杉野選手は「夢への挑戦―ともに頑張る君たちへ―」の演題で、約350人の学生や教職員を前に金メダルを獲得するまでの道のりや経験について話をしました。「たくさん壁にもぶつかったし、天才ではなく凡人に近い選手だったので、天才たちと戦わないと夢が叶わなかった」という言葉で始まった講演では、オリンピック出場まであと一歩、あと一歩と言われながらも代表に選ばれずに「人生で3回みた代表補欠の景色」について、前日まで東京五輪は杉野有利と言われていた翌日最後の鉄棒で難しい技に挑み、120%の力を出し切ったにもかかわらず目の前で夢が叶わず泣いた2度目の補欠や、世界選手権日本代表の3度目の補欠で競技の引退を考えたことについて触れながら話しました。それでもあきらめなかったのは「夢の実現は山登りと同じ。金メダルという山に自分は登れると信じていた。難しい山にはそんな簡単に登れないし、登頂ルートに正解はない。登頂失敗は振り出しに戻るのではなく、レベルアップしながら進んでいくことが正解への近道だと思ってオリンピックという山に登りつづけた。オリンピックで金メダルをとることが夢から目標に変わって7年かかったが、実現して気づいたのは、ゴールだと思っていたのに実はスタートラインだったということ」と話しました。最後に「がむしゃらに頑張ることはダサくない。僕も血のにじむような努力でもう1回ロサンゼルスで金メダルを取りに行くので、みなさんもがむしゃらに頑張って。僕はみなさんの夢を応援します」と後輩たちにエールを送りました。セミナー後の参加者学生によるアンケートには、目標をしっかり持つことや自分を信じること、あきらめないことの大切さなど具体的なイメージを持てたといった内容が多く見られ、期待以上の成果効果が得られたセミナーとなりました。

「第二部パネルディスカッション」では、杉野選手、村田氏のほか本学体操競技部部長の山下龍一郎講師、同監督の中谷太希講師も登壇し、お正月も帰省せずに毎日練習を続けていた杉野選手の学生時代のエピソードなどが披露されました。終了後、集まった報道陣に杉野選手は「経験や思いを後輩に伝えることで、後輩が今後より良い競技生活や学生生活を送れるようにという願いを込めて話をしました。人生の基礎を築いた鹿屋に帰ってこられてよかったです」とコメントし、鹿屋市役所に向かうべく母校を後にしました。

来学の様子

鹿屋体育大学広報アンバサダー第1号委嘱式
教職員に拍手で出迎えられる杉野選手と村田氏
講演の様子
講演終盤、会場に向けて話をする杉野選手
第二部パネルディスカッションと会場の様子
村田氏と、質問に答える杉野選手