「みる・ささえる」受験の先駆者 アナリストとしても活躍中! 福島 拓実さんにインタビュー
2025/10/07

アナリストという職業があるのを知ったのは中学生の時だったと話す、大学院修士課程1年でサッカー部コーチ兼アナリストの福島拓実さん。福岡の公立高校に入学してまもなく、プロサッカーチームのアナリストになることを目標に勉強をスタートさせた。鹿屋体育大学入学と同時にサッカー部で分析の仕事を始め、卒業後は大学院に進学して現在は研究者目線でデータに基づいた分析も続ける。公益財団法人日本サッカー協会U-16日本代表ウズベキスタン遠征、U15日本代表フランス遠征に帯同と、活躍の舞台を世界へと広げているが、常に意識していることは「監督の一番の理解者でありたい」。本学では令和9年度から、総合選抜に実技を課さない新たな入試がスタートする。スポーツをする・みる・ささえるの「みる・ささえる」での受験を考えてる受験生にとって、まさに先駆者的存在だ。一見物静かだが、言葉の端々から揺るぎない闘志が伝わってきた。 |
―サッカーを始めたのはいつからですか。
福島 父が元プロサッカー選手だった影響で、3つ上の兄がサッカーを始めた3歳頃からです。もちろん当時は遊び感覚だったと思いますが、物心つく前からサッカーには触れていました。
―中学でプレーヤーをやめたのはなぜですか。
福島 中学2年生の時に交通事故に遭って右足の太ももの骨を骨折してしまって、選手として続けられなくなったんです。1年近い入院生活の中で、違う形でサッカーに関われることはないかと探していた時に、テレビで見ていたバレーボールの試合でiPadを見ながら何かやっている人の姿を目にして、調べたところアナリストという職業があることを知りました。それで高校に入学してまもなく、サッカーアナリストになるための勉強を始めました。
―鹿屋体育大学に進学したのは?
福島 最初は日本よりも進んでいる海外の大学に進学しようと思ったのですが、現実的には厳しいことが分かり、日本の国立大学に進学することを決めました。筑波大学か鹿屋体育大学かの二択だったのですが、子どもの頃から知っている3つ上のミネベアミツミFCの木橋朋暉選手が当時鹿屋体育大学のサッカー部にいたので相談したところ、やりたい分析もできそうだということで受験を決めました。一般入試で受験したので合格が分かったらすぐに木橋さんに連絡して、事前にサッカー部の塩川勝行監督に話を通してもらっていたので、オリエンテーションが始まる前の入寮と同時に分析に関わらせてもらえました。いま振り返れば当時は分析もどきのレベルだったと思いますが、湘南ベルマーレの根本凌選手が当時本学のサッカー部にいて「俺のあのプレーはどうすればよかった?」と聞いてきてくれたことが自信につながって、今日があると思います。
―大学院に進学しようと思ったのは?
福島 学部1年生の時に髙井洋平教授に「選手にGPSをつけて、データを分析してみない?」って、声をかけていただいたんです。一般的にプロチームでアナリストと言えば、映像を分析する人なので、そんな世界があるのかと衝撃を覚えました。データの世界でサッカーを知って、データサイエンスでサッカーを変える、サッカーと関わる、という世界も面白いんじゃないかと思うようになって、大学1年生の冬には大学院に進学することを決めました。うちのサッカー部はプレシーズンにプロと試合をさせてもらう機会も多く、そのときにプロのアナリストと交流する機会もあって、現実の厳しさを知って、自分にやっていけるかな? と思って、実はそのときに将来プロのアナリストになることはやめようと決めたんです。なので2年生の前期から髙井先生のゼミに入って、髙井先生に2年生の冬にはフットボール学会で発表する機会もいただきました。このときは緊張してうまくいかなかったのですが、失敗の経験も含めてとてもいい勉強になりました。
―今年9月に、U16日本代表のアナリストとして新潟で開催された国際大会に帯同しました。そのきっかけを教えてください。
福島 3年生の秋ぐらいに、JUFA全日本サッカー連盟がアナリストの育成を始めて、それに1期生として参加したんです。大学卒業と同時にみんないなくなるのですが、一人だけ大学院生として3期目として居座っています。将来アナリストにはならないと決めたと言いながら、実はアナリストへの熱が冷めた訳でもない自分がいます。今回JUFAが公益財団法人日本サッカー協会(JFA)からの依頼でU16日本代表に帯同できる人材を探していたタイミングで、大学院生で学会の経験もあるし、ある程度見やすい資料もつくれるし、ほかのアナリストの学生よりは堂々と話せる、といったことを評価していただいて白羽の矢が立ったのかな、と自分では思っています。
―実際に参加してみていかがでしたか?
福島 面食らいました、というのが最初に出てくる言葉です。アナリスト=テクニカルスタッフ、というのは、監督やコーチができない映像の編集やミーティングの資料をこちらがつくるものだと思って参加したんです。少なくとも大学のサッカー部ではそこは自分の専売特許だったのですが、監督もコーチも日本サッカー協会指導者ライセンスを持っている方々ですので、すべてにおいて自分を上回っていました。今回の経験で自分のアナリストとしての経験が大きく上がったと感じています。でも落ち込んだというよりは、逆にモチベーションは上がりました。
―引き続きオファーがあったということは、新潟での仕事ぶりが評価されたのでは?
福島 今回の新潟での経験で、アナリスト=テクニカルスタッフの意義について考えさせられました。結局つまるところは関係性なんだと思います。監督やコーチが一緒に組めないと思ったら、次はない話ですから。監督が何を求めているのか、監督は僕に何をしてほしいか、選手たちにどういうイメージをつけてほしいと思っているのか、といったことを常に意識しながら、監督やコーチとコミュニケーションを取っていくことが大事なのだと思います。実際新潟から鹿屋に帰ってきて、塩川監督とのコミュニケーション量が増えたと自分でも思います。僕がチームを勝たせることはできないけれど、チームが勝った後の要因のひとつになれるように、これまで以上に取り組んでいきたいと思います。
―海外遠征への帯同が決まって、国重徹教授から英語の指導を受けているそうですね。
福島 研究をしている関係で英語の論文を読んだり、英語のスピーチは聞いたりしているのでヒアリングは大丈夫なのですが話せないので、国重先生には付け焼刃でいいのでフレーズを教えてくださいとお願いしています。海外での経験を経て、どれぐらい話せるようになったか、帰国後にまたご指導いただく予定です。
―将来の夢は?
福島 現在、大学院ではサッカーのトレーニングに関する研究をしています。僕が残した研究が、日本サッカー協会(JFA)の指導者養成の指導教本に載るのが夢です。今回代表の帯同をさせてもらって、このままアナリストとして続けていく道と、研究者としてサッカーを突き詰めていく2つの選択肢があると考えています。修士からそのまま博士に進むかどうかの結論は現時点では出していませんが、いずれにせよどこかのタイミングで博士は取りたいと考えています。
―令和9年度から、本学では総合選抜に実技を課さない新たな入試がスタートします。体育大に一般受験で入学して、「みる・ささえる」の道を選んだ先駆者として、最後に受験生へメッセージをお願いします。
福島 僕自身は5年前に、「みる・ささえる」ことを目指して入学してきました。共通テストの点数には自信があっても、運動能力テストで落とされないように受験に備えてパーソナルトレーナーに見てもらっていたのですが、入試制度が変わることで実技に対する恐怖感がなくなり、自分がやりたいことを突き詰める時間ができることはとても喜ばしいことだと思います。鹿屋体育大学は全国でもトップレベルの先生方と設備、環境が整っている大学です。「みる・ささえる」で入ってくる人たちのレベルが高ければ、「する」側の競技力向上にもつながっていくと思います。鹿屋体育大学は「する」だけでなく、「みる・ささえる」でもレベルの高い大学だということに自信を持って入学する決断をしてくれたら僕らもうれしいし、お互いに刺激し合って相乗効果で高め合っていけるのではないかと思います。
(取材・文/西 みやび)