陸上競技部の学生、卒業生も参加の下、瓜田吉久教授の最終講義が行われました!
2026/02/24
令和8年2月20日、大学院棟3階大講義室で瓜田吉久教授(スポーツ・武道実践科学系)の最終講義が『「自走するリーダーを育てる」苦想(こそう)を糧に歩んだ38年の陸上指導の軌跡』を演題に行われ、学内外から100人以上が参加しました。会場には遠方から駆け付けた陸上競技部や瓜田ゼミのOBOGの姿もありました。
瓜田教授は筑波大学大学院修了後、筑波大学体育センター文部技官を経て、1988年4月に鹿屋体育大学体育学部助手として赴任、助教授を経て2007年から教授を務めています。砲丸投日本記録樹立(1982年、1985年)、ユニバーシアード神戸大会(1985年)の砲丸投7位17m52で日本記録を樹立、日本陸上競技選手権大会優勝5回、2位1回、3位3回、入賞7回、ソウルアジア大会砲丸投3位(1986年)と数々の競技歴を持ち、本学陸上競技部の投擲コーチ、監督、部長を務めるなど、教員として学問の指導にあたる傍ら、課外活動の指導者としても多大なる実績を残しました。
最終講義では司会進行を瓜田教授と筑波大学の学生時代から縁のある金高宏文教授が務め、系主任の濱田幸二教授が代表して「瓜田先生が着任したのは私がここの大学院に入学した年で、トップアスリートのすごい人が来た! と思った印象は今も変わりません」と挨拶しました。
「38年前、着任したての4月、サッカー場の芝生を一歩一歩踏みしめながらジョギングした記憶があります。サッカー場からは錦江湾や開聞岳、高隈の山々が見え、さらに桜島の存在も相まって鹿屋体育大学がすごくまぶしく輝いて見え、大学にすごいエネルギーと未来を切り拓いていく力を感じました。あの時の感動は、今も鮮明に残っています」。瓜田教授の最終講義は本学の第一印象から始まり、着任時の挨拶で「学生が自分で考えて、しっかり行動できるような人間になるように育てていきたいと生意気にも発した言葉に対する思いは、38年間形を変えながらも今日まで続いています」と、38年間変わらぬ本学への熱い思いにも触れました。
演題にある苦想(こそう)とは、あれこれと苦労して思い悩むことや苦心して考え出すことを意味します。瓜田教授は「くそっ」というやり場のない悔恨の負の感情を、こそう→くそう→くそっに掛け、これまでの人生で「くそっ」と思ったいくつものエピソードを披露しました。突然の目の病、投擲選手としてはありえない右手首の骨折など、数々の試練を乗り越えて手に入れた3度の日本記録樹立の経験から、「強く思い、そして深く考え続け、しっかり行動すれば、思っていることは実現できる」と訴えました。また、成功体験よりも数多くの失敗体験「負の遺産」こそが、指導の原動力となるとも話しました。日本記録を樹立したときのユニバーシアードの貴重な映像も流れ、会場の人々を魅了しました。
指導スタイルの変遷としては、28歳~40歳頃を第1期「背中で語る」、40歳頃~50歳頃を第2期「問い」で考えさせる、50歳頃~現在を第3期「最適解を与えない・待つ」と3期に分けて可能な限り学生が成長し、自走できるように取り組んできた経験を惜しみなく披露しました。そして「年齢を重ねるたびに指導者としての自信や充実度は上がってきたけれど、100点に達したとは思っていなくて今でも80点ぐらい。満足したら成長が止まるので、未完のまま走り続けたい」と話し、最後に学生へは「恐れず、悩み、深く考え、行動せよ」、指導者へは「自身の未熟さを自覚し、苦想せよ」と、アドバイスの言葉を贈り、最後に「小さな一歩も大きな進歩」「少しずつ変化は起きている」「迷うのは成長している証拠」と好きな言葉3つを披露しました。
その後20分間の質疑応答がり、金久博昭学長が瓜田教授との思い出のエピソードを交えながら「退職しても、背中で語る指導スタイルを見せるために大学を訪れ、末永く指導に当たってください」と挨拶、陸上競技部部長の吉塚一典准教授、ゼミ生OGの長尾友紀子さん、ゼミ生代表の廣井楓さん(スポーツ総合課程4年)の3人から花束贈呈が行われ、瓜田教授の謝辞と集合写真を撮影し、心の琴線に触れた最終講義は会場に感動の余韻を残したままお開きになりました。
雨の日も風の日も、毎日毎日トレーニングを欠かさず身体を動かし続けていた瓜田教授。最終講義を聞いて「瓜田先生が瓜田先生であり続けるために、今日も明日もトレーニングを続けている」。ふと、そんな気がしました。
(取材・文/西 みやび)







