鹿屋体育大学開講とともに36年 3月で定年退職を迎えた北川教授にインタビューしました
2021/03/31
鹿屋体育大学が開学して初めて学生を受け入れた1984年から教壇に立ち、体操競技部の礎を築いてこられた北川淳一教授が3月で定年退職を迎えました。北川教授は24歳のときに体操競技でモスクワオリンピックの日本代表メンバーに選ばれましたが、日本のボイコットで“幻のオリンピック選手”になりました。金メダル候補と期待されながら、出場することが叶わなかった悔しさをバネに代え、鹿屋体育大学で研究と後進の育成に36年の長きにわたり尽力された北川教授に話を伺いました。
―9歳から体操を始めたそうですね。
北川 1964年の東京五輪でともに体操の日本代表だった小野喬さんと妻の清子さんが設立した日本で最初のスポーツクラブが家の近所にでき、小児ぜん息を克服するためにオープン初日に母親に連れられて1番目に並んで会員第1号になりました。後に“ネコ”と呼ばれるほど着地が得意になったのは、そこにあったトランポリンで10年間体幹を鍛えたおかげだと思っています。
―小野喬さんとともに鹿屋体育大学に就任されました。
北川 日本のボイコットで1980年のモスクワオリンピックに出られなくなり、その翌年からカナダの大学に留学していました。当時はまだ日本に体育学のドクターコースがなかったのでカナダで取るつもりでいたのですが、師匠である小野喬さんから開学する鹿屋体育大学への誘いの国際電話がかかってきて、最初から携われるのであればやりがいもあると思って帰国を決意しました。
―体操競技部は部員1人からのスタートだったと聞いています。
北川 オリンピック選手を育てるつもりでいましたが、実際にはとても苦労しました。体操競技には1部と2部があって、2部の1番下から15年ぐらいかけて1部に上がって7位まで駆け上ったんですが、そこから上がれずスランプの時期もありました。2010年に2代目部長の松元正竹先生が定年退職されて部長を引き継ぎ、同年私の母校の順天堂大学から村田憲亮先生が来てくれました。村田先生は優秀で人間性も素晴らしく、昨年は全日本インカレ準優勝に導きました。私の後任はそろそろ卒業生にバトンを渡したいと思い、4月から鹿屋体育大学の卒業生が決まっています。
―教員生活で一番思い出に残っていることは?
北川 授業と課外活動以外で言えば、NIFSスポーツクラブを築き上げたことです。公開講座の体操教室からスタートし、現在は200人を超える子どもたちが参加しているNPO法人に成長しました。体操競技部では指導実習の一環として、全員がNIFSに参加しています。
―研究内容は「着地」でした。
北川 体操競技で優勝するには着地は実はすごく重要なんです。自分で体験して身体でわかっていたので、大学の教員になったときに今度は学問的に研究したいと思い、36年間さまざまな角度から検証を重ねてきました。
―モスクワオリンピックに出場していたら、また違った人生でしたね。
北川 身近で水泳の田口信教先生を見てきましたので、メダリストはこんなにも扱いが違うのかということを実感しました。オリンピックが近づくと、今でもマスコミから取材がくるので必ず思い出して4年に1度憂鬱になります。自分の中での決着はまだついていないのかもしれませんが、今が1番いいと思うようにしています。オリンピック選手がみんな大学の先生になれるわけではないので、鹿屋体育大学で36年間楽しく過ごせて良かったと思っています。
―今後の予定は?
北川 一昨年、鹿屋市吾平に息子と娘がアイランドスポーツクラブキタガワを設立しました。社長を務める息子に雇ってもらって、4月から指導者として全面的に動き出します。子どもたちの指導だけでなく、大人が病院に行かずに長生きできるよう健康寿命を延ばすお手伝いもできたらと思っています。私にとっては9のつく年齢が節目なので、69歳から再び体操で新たなチャレンジをするべく現在トレーニング中です。
―最後にメッセージをお願いします。
北川 最初の頃は鹿屋の知名度がなくて、そんな田舎の大学に誰が行くの?とよく言われました。でもやり方によってはマイナスイメージを払拭できるんです。競技にしても学問にしてもトップに立つのは夢じゃない。いろいろと工夫をして頑張りましょう!
(取材・文/西みやび)
プロフィール
きたがわ・じゅんいち。昭和30年9月25日生まれ。東京都出身。都立駒場高校から順天堂大学、同大学院卒業。主な競技成績は全日本インカレ個人総合優勝。アジア大会(タイ)種目別3種目優勝。ユニバーシアード(メキシコ)平行棒3位。中日カップ個人総合優勝。モスクワオリンピック日本代表選手ほか。1期生の学生を受け入れた昭和59年に鹿屋体育大学に赴任。体操競技部は部員1名から出発し、1992(平成4)年に1部昇格を実現させた。


【令和2年度北川杯】は北川先生も退官記念として参加され、見事な演技を披露されました。
体操競技部全員で、北川先生のベストショットを撮るコンテストも開催しました。