日本で唯一の国立体育大学

国立大学法人 鹿屋体育大学 KANOYA

スポーツ・武道実践科学系 竹中 健太郎

武道館で会う剣道着姿の竹中健太郎先生は、キリっとした表情でオーラがあり、まるで時代劇か映画のワンシーンでも見ているような錯覚に陥ってしまうほど異彩を放っている。3年前、鹿児島市の「仙厳園」で伝統行事『曲水の宴』に参宴したときの竹中先生は、江戸時代の武家の正装姿で歌を詠み、本物のお殿様のようだった。月刊誌『剣道時代』の表紙に登場したことも。剣道女子日本代表コーチを経て、現在は監督を務める。剣道をしている人なら知らない人はいない有名人だが、メディアの取材を受けているときは笑顔を絶やさずとても気さくで、学生からの信頼も厚い。ONとOFFを使い分け、普段着でさっそうとキャンパスを歩く姿もまたサマになる、教士八段にして体育学博士の逸材である。

研究内容をひとことで言うと?

竹中 剣道です。具体的に言うと、実践現場に落とし込むための研究をしています。剣道は「気・剣・体」の3要素がとても複雑に絡み合ってパフォーマンスが決定していくので、一部分にだけスポットを当てて結論付けていくのは難しく、なかでも“気”の働きが大きく影響するので、我々も気の充実を図るために稽古をしている、といったところがあります。なかなか科学的には解明できないところがあるので、競技力の高い選手・剣士が実践してきた事例が、大きな手掛かりになるということも言えると思います。

竹中先生が感じている鹿屋の魅力は?

竹中 環境がいいということはだれもが言われることだと思いますが、不必要なノイズがあまり入ってこないので、自分の目標・目的に向かって没頭しやすいシンプルな環境が魅力だと思います。反面、必要な情報も入ってきにくい状況にあるので、自ら積極的に情報収集していかないと、気が付いたら卒業っていうことになってしまうと思います。のどかで平和な環境の功罪の“罪”の部分を、自分で工夫して攻める生活は必要だと思います。

平成20年4月の着任以降、男子監督として剣道部を2回団体日本一に導き、今年は4年生の木村恵都さんが個人日本一に輝きました。

竹中 私が赴任したときには、本学の剣道部は開学以来の先生方の尽力によりすでに男子も女子も全国区でしたので、そのレベルを落とさないようにという責任感は当時も今もあります。特に本学は武道課程で学んでいる学生たちですので、剣道のスペシャリストを育てていくという大きな目標があり、勝負に勝つ、ということと質を高めていくということの両輪のバランスを取っていくのは非常に難しいということは、今なお感じていることです。

中学から親元を離れて剣道の強豪校PL学園で6年間を過ごし、筑波大学に進学しました。

竹中 PL学園での6年間は、1日1日を生き抜いていくのが精一杯といったような生活でした。非常にレベルが高い環境の中で、一番鍛えられた時期だったと思います。稽古の量では、恐らく当時の中学・高校の中で日本一だったと思いますが、それでも負けることもありましたから、大学生になったときには量より質を大事にする取り組みを身体にしみこませました。気が付いたら強くなっていたというのではなく、強くなった理由を自分で説明できる、自分で自分をコーディネートする力を筑波大学では身につけさせてもらいました。私自身は学生時代に先生から何かを教わったことはほとんどなく、学んだことが多いです。教えてもらうのと学ぶのでは質が全然違うので、私自身も細かく指導することはありません。私が実践してみせて、それを学生が感じ取ってくれたらと思っています。剣道の言葉で言えば「師弟同行」という表現になりますが、これが剣道の良さでもあると思っています。

竹中先生が剣道をするうえで大事にしていることは?

竹中 まずひとつは、剣道で学んだことを日常生活に生かすということです。剣道は対人競技ですから、相手が考えていることを読んで活路を開いていくわけですが、日常生活でも周囲が考えていることを察知して、それに見合った行動をとっていくということを心がけています。もうひとつは、不易流行ということを大事にしています。伝統文化として剣道の技術や考え方を残していく一方で、剣道人口を絶やさないためには時代の流れに沿って、変えていかないといけないところにはメスを入れていくことも大切だと感じています。

武道人口の減少が問題になっています。

竹中 少子化でそもそも子どもの数が減少しているわけですから、新たな剣道人口を獲得することはもちろん、剣道をやってくださっている方のお子さんが剣道をやってくださる、という流れが確立されていくことが重要だと思っています。剣道という長い歴史を持つ誇り高き競技を選択しているという自負心を持つことも大事ですし、打ち上げ花火的に宣伝効果を高めるような広報の仕方ではなく、地道な活動の中でじわじわと人材を獲得していくやり方の方が剣道には合っていると思います。

今年のかごしま国体では、鹿児島県の成年男子初優勝に貢献しました。国体や全日本東西対抗等に今でも選手として出場し、現役を貫いているのは?

竹中 国体に鹿児島県の選手として出場しているのは、鹿屋体育大学の教員として鹿児島県剣道連盟とのつながりを大切にしたいという思いがあります。仮に試合で負けることになってしまった場合、自分にとってはマイナスでしかありませんが、逃げないことも大事だと思っています。剣道の試合で勝負をする苦しい環境に自らを置き、覚悟をもって乗り越えていくことで学生の気持ちも理解できますし、自分にとっても学ぶことにつながると考えています。

学生に望むことは?

竹中 本学の剣道部は毎年優秀な人材がたくさん集まってくる100人以上の大所帯なので、なかなか外に目がいきにくい環境にあると思います。指示待ち人間ではなく、学生が主体となって動いていくことが大事だと思います。部内でレギュラーに選ばれることを目標にするのではなく、ライバルは外にいることを常に忘れないでほしいです。

令和2年に最年少に近い年齢の48歳で、2回目の挑戦で剣道最高位の「八段」に合格しました。最後に今後の目標を教えてください。

竹中 剣道は60歳でも若手と言われる世界ですので、50代はまだまだこれからです。これから自分に何ができるのか?ということを考えたときに、うちの大学の卒業生で頑張っている教え子たちが活躍できる環境を整えてあげることが大事なのかなと思っています。スポーツや武道の世界には、引き上げてくれる人材が必要です。いくら能力が高くても、引き上げてくれる人がいないと活躍の場が狭まれてしまうので、背中を押してあげられるような存在になりたいと思っています。

(取材・文/西 みやび)

※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。