誠実でまっすぐ。情熱はだれよりも熱く、いつもがむしゃらで一生懸命。県外の人が抱く“薩摩隼人”のイメージに、もっとも近いのが山口大貴先生だと思う。鹿児島県薩摩川内市で生まれ育ち、小学生の頃から鹿屋体育大学に進学するのが夢だった。大学に入学してまもなくけがをして陸上競技を続けられなくなったが、自転車競技に転向して努力を重ねて大輪を咲かせ、道は拓けることを証明してみせた。くやしさをバネにこれからも、さわやかな風を吹かせながらいくつもの夢実現に向けて全力疾走で駆け抜けていくのだろう。

―研究内容をひとことで教えてください。

山口 運動技能の改善と競技力向上について、“自分を実験台に研究する”というのをモットーに研究しています。どうやって身体を動かすと記録が向上するのかや、どのような練習によって身体知(身体の動かし方に関する知)を深められるのかに興味があります。大学の学部と修士課程は本学の金高宏文先生、博士課程は山本正嘉先生にご指導いただいたので、お二人の先生方に教育していただいて、こういう考えになったと思います。

―山口先生は本学の27期生ですが、いつ頃から鹿屋体育大学に進学しようと思ったのですか?

山口 小学5年生の時の担任の先生に、鹿児島には山口君にぴったりの鹿屋体育大学という大学があるのよ、と教えていただいて以来です。もともと子どもの頃から身体を動かすのが大好きで、5年生の時に市の大会の走幅跳で1位になって、中学から本格的に陸上を始めました。中学1年の時の担任の先生が鹿屋体育大学出身で、体育を教えるのがとても上手で、鹿屋に行きたいという思いがさらに強くなり、高校は地元の薩摩川内市の高校ではなく、当時鹿屋体育大学に進学している先輩が多かった松陽高校を選びました。その頃の体育大は跳躍がものすごく強くて、県内にこんなすごい人がいるんだ、めちゃめちゃカッコいいと思っていた中の1人が、実は当時は学生だった本学の小森大輔先生だったということにあとから気づくわけです(笑)。

―念願かなって入学できたのに、大学1年生の5月にけがをするハプニングに見舞われたそうですね。

山口 忘れもしない1年生の5月3日に、走幅跳の着地の際に踏み切り足である右足首を痛めました。痛みが残ってなかなか治らなかったので3月に手術をしたのですが、2年生の秋になっても痛みが緩和されず、跳躍選手として大学在学中に全国大会で8位以内に入賞という目標を陸上競技では達成できないかもしれないと思い始めました。陸上競技部では年に2~3回、室内固定のバイク「自転車エルゴメーター」で測定をしていたのですが、その結果がオリンピアンを多く輩出している本学の自転車競技部の人たちと比較しても遜色がないことがわかり、藁にもすがる思いで成人式を迎えた大学2年の1月に自転車競技に転向することを決意しました。その年の2012年は鹿児島県で自転車競技の全日本学校対抗選手権(インカレ)が開催されることが決まっていたので、死に物狂いで頑張ろうと思いました。日本代表がそろう部員の中でド素人でしたが、そういう環境だったからこそ意識を高くもたなくちゃと思い、競技を始めて1年半で全国大会4位になりました。今思えば何の保証もなかったのに大胆だったと思いますが、最終的には大学院修士課程の2年生まで4年間競技を続けて全国大会で6回優勝、そのうちの4回は日本学生記録をつくることができました。

―大学院に進学しようと思ったのは?

山口 卒業論文を書いているときに研究することによって自分の競技力が上がるという気づきがあり、研究を続けたいと思うようになりました。修士課程修了後は東京の民間企業に就職しましたが、筑波大学との共同専攻で設置された博士課程の目的が「大学体育スポーツの充実を図ることができ、実践研究ができる博士の学位を持った大学教員の養成を目指した教育プログラム」と知り、再び鹿屋に戻って博士号を取得する決意をしました。

―昨年9月に本学の教員として採用されました。鹿屋体育大学の学生に期待することは?

山口 鹿屋体育大学を卒業した時に、鹿屋を選んでよかったなっていう気持ちになれるような4年間を過ごしてほしいと思います。あのときもっとああしておけばよかったっていう後悔だけは残してほしくないので、(山口先生の研究テーマでもある)運動技能の改善と競技力の向上に全力で取り組んでほしいです。

―自転車競技部の顧問教員もされています。監督として今後の目標は?

山口 自転車競技部はこれまでインカレで男子が4回、女子が14回総合優勝を達成し、全国大会の優勝者が62人いて339勝、日本記録が42回、オリンピック代表に5人が選ばれています。とんでもない部活の顧問になってしまったという気持ちがありますが、自分の中では目標が2つあります。1つ目は男女ともに強いというのが本学の特徴なので、男女共にインカレで総合優勝を達成し、オリンピック代表選手を輩出すること。2つ目は自分自身の経験から、競技力向上のためにデータを取って強くなった過程を振り返り、自分で理解する必要があると思っているので、部員に対して第三者にも説明できるような教育的サポートを行いたいと思っています。現在地と目的地のギャップにある不足していることを理解し、可視化することで組織として強くなっていける状況をつくっていきたいです。

―山口先生を見ていると、いつもがむしゃらで一生懸命という印象を受けます。

山口 これまでを振り返ると、いいことと悪いことがセットでやってくる人生だったと思っています。高校1年生の時も国体選手に選ばれて、全国大会でも上位になれるところまでいっていたにもかかわらず、初めて全国大会に出られる直前にケガをして思うように実力を発揮できなかったんですよ。念願叶って鹿屋体育大学に入学できたけれど、競技を引退せざるを得ないぐらいのケガをしてしまい、当時はこんな星の下に生まれたんだって本当にそう思っていました。でもくやしいという気持ちがあるので、「井戸を掘るなら、水が沸くまで掘れ」の格言のごとく、頑張って頑張って頑張って頑張って、やっと水が出るみたいなところはあると思います。全然スマートじゃなくて、泥臭いんですけど(笑)。競技を通して学べたことはたくさんあるので、今後はそういったことも学生に伝えていけたらいいなと思っています。

(取材・文/西 みやび)

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